Latter1「行方不明者」

次話 Latter2「亡霊を追って」

記録によれば、裏山の桜は、二百年前にはすでに枯れていて、緑の広葉樹が広がる山の中腹、花を咲かせることはおろか、葉をつけることさえもない。あの巨大な桜の枯れ木は、そこだけ山が死んだかのように、ぽっかりとした穴となって佇む。
村の人間たちは、朽ちることもなく「生き続ける」枯れ木を不吉だとして、その桜を切り倒す計画を立てた。
「お前も行くか」
ヨウエイに突然声をかけられて、我に還った。
「何に」
「切り倒しだ」
なぜ? まず、そう思った。もう俺には手伝えない。村の人間の中には、足手まといに対して、露骨に嫌な顔をする人間もいるだろう。
声をかけてきたヨウエイから、仏壇の方に視線を戻す。仏壇に置かれた妻と息子の写真は、息子の中学の入学式に撮ったものだった。俺が撮った。だから、まるで、こうなることを知っていたかのように、写っているのは二人だけだった。
「肝心の木が見つからん。人手があった方がいい。力仕事は他の連中でやるから、探すのだけ手伝え」
一週間前、一日がかりの捜索の末、例の桜には、誰も辿りつけなかった。下から見ると、たしかにそこにある枯れ木は、しかし、山を登ると、あるはずの場所に存在しなかったのだ。
村の人々は、「神隠しの桜」として、ますますあの枯れ木を恐れることとなった。あの場所だけは、山が死んでいる。同じように、死んだ者だけがあの場所に送られるのではないかと、まことしやかにそんな噂が流れた。
それは、ハルタにとって魅力的な想像だった。あの枯れ木を見つけさえすれば。あの桜の木に辿り着きさえすれば。そこには、死んだ森があり、死者の世界があり、死んだ妻に、死んだ息子に、もう一度だけ、あと、一度だけ、その顔を見ることができるのではないか。
自分は迷信など信じないたちだと、自分でも思っていた。しかし、あの日、自分の利き腕と共に妻と子を失った日、あらゆる見慣れた風景は、すっかり様相を変えた。
住み慣れた家が、こんなにも広かったんだとは知らなかった。
妻の作る食べ慣れた飯が、あんなにも美味かったんだとは知らなかった。
中学生になったあいつとけんかした毎日がなくなってしまうことが、こんなにも、寂しいのだとは、知らなかった。
「分かった。探しに行こう」
ハルタは、自分だけが写っていない写真に目を向けたまま、そう答えた。

翌週の日曜日、ヨウエイがハルタの家へと来た。
「ハル、準備はできてるか?」
ハルタは、ヨウエイを隊長とする捜索隊とともに山へと入った。
そして、二度と帰ってこなかった。

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