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時空のはざまで真実を追求する少女 8

趣味の世界

 私には姉がいなくなった後、デパートの仕事をどうするかという問題が残っていました。この仕事は一人では到底できません。
 デパート側は、縫い子さんを紹介するから、雇って仕事を続けるようにと勧めてくれたのですが母が反対したため、この話は駄目にりました。
私には母の反対を押し切るだけの勇気も力もないので、洋裁はこれで断念することにしました。
この時、私の中ではもう洋裁には何の未練もありませんでした。何もすることがなくなって、何故かほっとし同時に大きな重荷がおりたという感じです。これでヤット自由を手に入れることができました。
 小さい頃から好きだった絵が描けるのです。私は誰に気兼ねすることもなく、残っていたお金で画材一式を買ってきました。母は黙っていましたが気にいらないようでした。
 小学校の頃から、私の絵はいつも教室の後ろや廊下に飾られていました。しかし、親にも、先生にも、誰からも褒められたことは一度もありません。だから、上手く描こうという気持ちはまったくなく、それさえ知らないで、自由に伸び伸びと、ただ楽しく無心に描いていました。
 こんな心がいつまでも続いたなら、いまごろ画家になっていたかも知れません。
 中学生のころ将来画家になりたいと思い、街角で手相を見てもらったことがありました。その占い師に「あなたは命がけでやればできる」と言われて嬉しくって母に将来画家になると言ったら、「絵なんか描いたって生きてはいけない」と反対され、母の勧めるまま洋裁の道に進み、将来は洋裁の先生になろうと一生懸命勉強することになったのです。
 高校は女子工芸高校に進み、その後更に洋裁学園に進みました。私は何の苦労することも無く、服を作るのが段々上手くなっていきました。上手く縫えたので凄く嬉しいのですが、母は決してじょうずに縫えたね!とも頑張ったね!とも言ってくれません。私はただ、母に褒められたくって、また次の作品を今まで以上に一生懸命頑張るのです。
 しかし、どんなに丁寧にじょうずに綺麗に縫っても、母は私を褒めてくれたことはない、だから私はまだ下手なのかと、今まで以上に一生懸命勉強して夜中でも起きて頑張るのです。
 でも、絶対褒めてはくれないのです。そんな母ですが、ある時、私は見たのです。母は私が作ってあげた服を着て他人に娘が作ってくれた服だと自慢しているのです。
 これには、本当に驚きました。母が私を認めてくれていることを初めてしりました。

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