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嫁姑のあれこれはほぼ気にする必要のないものばかり。あとはときぐすり。

お盆に憂鬱な帰省をしてきたお嫁さん、いるだろうか。

結婚したての頃は義母の発言に神経を尖らせ、いちいち神経をすり減らしていた。

10年が経って、いろいろと変わった。
今は義母の声が遠くで聞こえる程度で、それに振り回されることもなくなった。
そもそも距離感も適正にチューニングできるようになった気がする。

なんというか、楽なのだ。快適。

この10年で嫁姑を巡る環境や内面で何が変わったのだろうか?


義母の家族の変化

我が家に2人の子どもが産まれて家族が増えた。義理のきょうだいもみんな結婚して、来年には、我が家に続くお孫さんも産まれる見込みがあるようだ。

私が夫と結婚したときは夫しか結婚しておらず「嫁」は私ひとり。私は格好の噂の的だった。

それからしばらく息子が生まれ、また私はまんまとダメ母として批判の対象になってしまったわけだが、相次いで夫のきょうだいたちが結婚すると義母の私への関心も薄らいでいった。

今は嫁が私以外にもいるし、夫は女のきょうだいがいてその配偶者もいる。義母にとって話題にする対象が一気に増えた。

私が注目されることもなくなり、小言も批判も相対的に少なくなったと思う。はぁ〜らくちん。

全ては、お姑さんの嫁に対する小言というより義母の感想

私への関心が薄らいだ今、義母の口にする小言の多くには傾向がある。

息子の嫁がばか
娘の夫がばか
私の夫が気に食わない

笑。
これに気づいたらもう全ては解決したようなものじゃないか。

つまり義母は、子どもたちが好きで夫の存在がちょっとだるい普通の主婦のようだ。そして、その時々に頭に浮かんでは消える感想を述べているだけ。

ほんとに、浮かんでは消える、が正しいと思う。会うたびに新鮮な話題は移り変わるし、褒めちぎったその同じ人を次には軽快にディスっている。これは、ディスられないようにすること自体が不可能である。

自分の子どもたちとその配偶者にまつわる出来事は、お茶の間を賑わす芸能人のニュースのように義母の身近な話題。それに、あれこれ感想を述べているのと似たようなものではないか。そう、小言でなく、感想。

ならば、こちらとして考えればいいのはただひとつ。

「それってあなたの感想ですよね」

私とは何も関係ない。

息子たちのことわかってるのは私なのよ、言わないけど

子育てへのディスりには、最初は落ち込んだ。
なにせ、こちらは子育て初心者。
義母は達人だ。
弱いものイジメはやめてほしい、そう思ったものだ。

ただ、こちらももう母親7年目。
これでも核家族で共働きで生活を回している。
義母の経験していない事も経験している。
偉そうにすることも堂々とすることもないけど、うちのことは私がやってますのでくらいの自信がついてきた。

いつお医者さんに連れて行くか。
何を食べさせるか。
勉強をどうやらせるか。
いつ寝かせるか。
自分で決めて生活を回している。

別に外野の声は、役に立つなら取り入れればよいじゃないか。

それにしても、子どもが成長するにつれ、あれこれ言われる事も少なくなった気がする。
今後、うち以外にお孫さんが産まれたら比較され馬鹿にされるかもしれない。
それも「それってあなたの感想ですよね」で処理できる気がする。

私は自分の子どもたちの成長を信じコミットする。

同じ人間よね

身も蓋もない話だが、義母も歳をとり、私も歳をとり、年齢に占める差は小さくなっていく。
対等になるとかはないけど、うんと下に見られていた過去も過ぎ去り少し下に見られるようになっていくのかなと思う。

義母という人を私なりに理解しようとして10年。

良い人だし優しい人だし、とよい面を拡張して自分に言い聞かせてきたときもあったが、やはり口が悪いところはある。

それでいいんじゃないか。それが、おもしろくもあり、決断が早く頭の回転の早い少し毒のあるユーモラスなキャラの一部で、それら全てひっくるめて義母ってことで。

我々同じ人間なんだし。
長所も短所もある。

こうして、ときぐすりがじわじわと効いてきている。

この夏も会って、子どもたちの成長を楽しみにしてくれてありがたいと思った。文句も言われるけど、それもまあ叱咤激励だ。つまり愛情。

ふむふむ、良い夏になった。

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