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子どもに「ママの子どもの頃は」…それ老害の始まりかも?!
東京で子育てをしていると知らない世界に驚く。
幼稚園受験、小学校受験、中学校受験…
私が生まれ育った田舎では受験は高校受験からだったし、大学受験の勉強など高校3年生の夏からだったので同じ日本とは思えないギャップに慣れないといけない。
私の頃は無課金でも東大行く人いたのにな…
その大学に入るために小学校から塾がいるの…
英語はラジオ基礎英語で十分では…
とかつい考えてしまう。
東京と私の育った土地のギャップはそもそも横に置こう。そりゃ別世界だ。
としても、だ!
私の子どもの頃と今の子たちを比べるのはむりがある。
だってそもそも30年以上のときが経っている。
子どもの数もぜんぜん違う。
必須科目が増えているし
英語の難易度が増しているし
デジタルツールを使っているし
試験の問題の形式も多様化しているし
子どもたちの常識も違うし(友達関係とか)
一言でいえば…
今の子どもたちのほうが難しいことをしているし、難しい世界を生きているのではないか。
子どもは大人たちが作ってきた社会のいいところも享受しているかもしれないけど、負の遺産を全部引き取る身。
ごめん、解決できんかった…
そう言って次の世代へ宿題を押し付けているのも大人たちである。
そんなやらかし放題の大人たちが子どもたちに、私の子どもの頃は…と自論を唱えても意味がない。
そして、そうやって自分中心の視点から抜け出せなくなったらもうそれ老害じゃない?とビビってもいる。
子どもを連れていると、突然知らない人に注意を受けることがある。多くの場合、というか毎度毎度年配の男性と女性。
そして、それらは、子育て一般論、もしくは彼ら彼女の実体験に基づく局所的なものであることが多い。注意はありがたく受け取るものの、こちらにも事情があるんだよなあ、ともやっとすることも多い。
時代が変わっている。
年配の人の言うこと、会社の偉い人が言うことが有無を言わさず絶対だったときもあったにちがいない。
今はそうとは限らない。
(モラハラになっちゃうyo)
子どもを取り巻く環境は複雑だし、アレルギーや障害や個人の事情もさまざまで価値観も多様化している。
よそ様は言うまでもなく相手が自分の子どもでも、私の子どもの頃は…
そう言いそうになったら注意しないと…
そう肝に銘じておく。
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