見出し画像

子育てと仕事の両立。ピンチと試練と優しさとごほうびと絶望と。起伏の多い人生の旅路の先にはいったい何がある?

やっと、熱が下がった。
やっと、食欲が戻った。
やっと、保育園に行けた。
やっと、小学校に行けた。

ひとつひとつ乗り越えて、やっと迎えた週末。

来週はやっと平和に仕事ができるかな!

そう思ったら、最後。

明日から仕事という日の午後に「ん?ちびすけ、なんか熱くないか」体温計を取り出して見るとそこに表示されたのは「38.8」。

またか…。

ひと山越えたらまた、山が。
子育てあるあるではなかろうか。
なぜ、ちっとも落ち着く時はやってこないのか。

熱のせいでごはんは食べたくないようで機嫌が悪い。やっと寝かせたちびすけのおでこをさすったり、手を握ったり、しばし放心する。

そして、スマホを取り出してかかりつけ医の予約画面に進む。仕事用のスマホで仕事の予定を確認して予約をする。1週間の仕事の予定を確認して、ひとまず明日をどう生き抜くかを考える。もし、何かの感染症だったら、もし兄弟で移しあったら、考えたらキリが無い。

病児の世話に仕事の調整。
やっと、子ども2人、お薬なし生活に突入できそうだったのに…!

不穏な空気が漂う、週末の午後。

私はこの瞬間が最も苦手だ。
心配な子どもの様子に気まずくなる仕事。
せっかく、挽回したり、命からがら切り抜けたのに、また、戦わなければならない。
永遠に終わらない気がしてしまう。

仕事でパフォーマンスを発揮する以前に、仕事の継続自体が最大難度超絶技巧と化している。

そもそも子どもが元気でいてちょっとふざけたりイタズラをしてくれるくらいでないと心配で心臓がもたない。入院とか救急とか、もう2度とごめんだ。

この、過酷な耐久レースの先にはいったい何が待っているんだろうか?

私は何のために、極度の緊張と弛緩を繰り返す、壮絶な生活に耐えてるのか?

子どもの巣立ち?
勤続表彰のご褒美休暇?
孫の顔?
退職金?
幸せな老後?

何だかどれもピンとこない。

どれも、どうでもいいような気がするのはなぜだろう?

ひょっとして、私は、そうした、最終目的地のようなものにはあまり興味がないのかもしれない。そのために、今地道に頑張っているんだ!と思おうとしても、なぜか、がんばれない。

その代わり、というか何というか、「今日もまたこの難しい一日を生き抜こう」そう思うことが何よりの活力になるように思う。

今、目の前にあることに力を注いでいるだけな訳だが、これが流行りのマインドフルネスか?!

仕事をがんばって、子どもたちに選択肢を一つでも多く残してあげたい、とか、子どもが安心できるお家を作りたい、そう思う気持ちがガソリンだ。

そう、きっと、私にとっては、神様がくれた「今」がいちばんのごほうびなんだと思う。未来は約束されてない。

今に精いっぱいで、悲しいかな、子育てや仕事が終わりを迎えたあとのことまで考える余裕がない。友達と趣味だけは、なくさないようにしようと思う。

そう思いながら、まだ寝ているちびすけの、小さい頃特有の汗臭い頭のにおいをつい嗅いでしまう変態な私であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?