オチのない話。昔話のおじいさんとおばあさんのところに何らかの方法で子どもがやってくるのはなぜか考えてみた。
子どもに昔話を読んでいると、書き始めが、昔々あるところにおじいさんとおばあさんが〜から始まるのが多いなと思います。
笠地蔵、花咲か爺、舌切り雀、こぶとりじいさんは、子どもがいないおじいさんとおばあさんの話です。
花咲か爺と舌切り雀、こぶとりじいさんはなぜかやさしい老夫婦と、いじわる老夫婦が対象的に描かれています。
桃太郎、かぐや姫、一寸法師、あかたろう。
こちらは、おじさんとおばあさんが子どもがほしくて、ちょっとユニークに子どもがやってきます。
絵本の絵を見ると、確かにおじいさんとおばあさん。
でも、昔話ほど昔の世界だと、寿命が50前。
てことは、昔話のおじいさんおばあさんって、アラフォーなんですよね?!
そしたら、こどもがほしかったらほんとに出来ちゃうかもしれないのでは??!!
いや、実は本当は子どもができてたんじゃないか!??
そう考えると昔話が妙にリアルに思えてきます。
桃太郎は桃からでなくおばあさんから。
かぐや姫も竹からでなくおばあさんから。
あかたろうも、垢からでなくおばあさんから。
実は産まれてたんじゃないかとすら思えます。
なお一寸法師はおばあさんから産まれてました。
本当は産まれていた子どもについて架空のストーリーを付けて流布していたのが昔話だったら…そう考えると不思議です。おばあさんは、現代ならママ友だったのかもしれないのです。
私も第二子は39歳の時に産まれました。
昔話のおばあさんに妙な親近感が湧いてきます。なにせ同年代です。
昔話には子どもがいない夫婦が出てくることが多いですが、戦時中や戦後はまだこどもは7人とか8人とかたくさんいた印象です。なぜ昔話には子沢山家族がでてこないのでしょうか?これはもうさっぱり分からず…昔は人口が少なかったから?栄養状態が悪く子どもができなかったから?それか単に話に乗せる都合上登場人物が少ない方がいいのか。
子どもって物語の中に自然と入れるのがすごいです。
こうして引いてみてしまうのは大人になったからかなと思います。
まさかおばあさんに感情移入する日が来るとは思いませんでしたが。
オチのない話でごめんなさい…
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