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子育てと仕事。「そんなにいやならやめる?」って大人に言うと、または、言われるとなるとドキッとしちゃいますね。

習い事の練習をせずにブーたれてる子どもにイラッと来ると言っちゃうセリフ。

そんなにいやならやめる?

すると、なぜか「やだ」と子どもが奮起することがある。

効果があるからつい言ってしまうけど、実はこの言葉案外怖いのではないかと思うことがあった。

子どものものを親が取り上げられるんだよという刷り込みに繋がると思ったからかと思ったが違いそうだ。やめるか聞くのは問題はないと思う。貴重な時間をむしろ、やりたいことのために使うべきだし、お金だってやりもしないことに延々とかけられない。

ただ、イヤイヤでも続けていく先に何か発見があるかもしれない、と思ったり、イヤならイヤなりにやってもらうために取り上げる以外の道がないか探る余地があるかもしれないなあ、と思ったのだ。

つまり、何が怖いかと言うと、言う側の思考停止状態のことだと気づいたのだ。

なぜそんなことを思うのかと言うと、きっかけは仕事中にあった。

同じ職場に愚痴ばかりの人がいる。
聞くと内容は真っ当だ。いわゆる正論。
だけど、残念だが、現実は常に完璧ではない。
普通はこうだああだと言っても、それは普通でなくて、ただの理想であることが多い。
それが愚痴ってものだ。
(本人は、真剣に訴えているから愚痴とは思っていなさそうだが)

厳しいけれど、思い通りにならない現実の中で結果を出さないといけないのだ。
理想を求め続けるなら、職場や仕事を変えるなど自分が動くしかなかろう。

そんな他人の愚痴を聞いていると頭には何度もこの言葉がよぎる。
ソンナニイヤナラヤメタラ?

しかし、まさか、言えない。
さすがに大人気ないし、聞きたくなければ私が愚痴を言われる場から逃げるべきだ。

何をしているかと言うと、ただ聞いて、聞いてもらってスッキリした、と思ってもらえるようにするだけ。それの繰り返しだ。

ギリギリ、まだ、がんばりたいから愚痴っているのだな、そう思う。葛藤を乗り越える支えが欲しいのだ、少なくともまだ今の時点では。

(似たようなシチュエーション、母から父の愚痴を聞かされる時にもあったなあ)

そして、私は思った。

いやならなめれば。
この言葉は、大人にはこんなに重い、一番最後まで封印すべきことばなのに、子どもには簡単に使ってしまうんだろうか。

もちろん、他人と身内の違いもある。
けど、言い方を工夫すれば言えるとは思う。「それがいやでやめる人多いですもんね」とか?暗に。
仕事と習い事の重みの違いはある。
雑にくくると、仕事も習い事も、代わりはある。

仕事は、もしも、部下なら事実上取り上げることはできる(異動させる、仕事の担当を変える、クビ?にする?)。それは習い事をやめさせるよりは難しいかもしれない。

そんな違いはあれど、「少しでも、なんともできないとかやりたくないとか自信が持てない状況を打破したい気持ちがあるなら、仕事にせよ習い事にせよ、大人であろうと子どもであろうと、背中を押してあげたいんじゃないか、私は?」そう思ったのだった。

子どもに対しては、やめる?と言えば進展がすぐあるからつい言ってしまうけど、おっと、注意しようと思った。

本当は何がしたいか、あるいはしたくないのか、何がやる気を削いでいるのか。

そんなことを聞く前にやめる?と迫るのはやめにしよう。

そう思った。

仕事も子育ても、人と人のなすこと。
何かしらお互いに役に立つことがあるのかもしれない。

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