通園バス3歳児死亡、「へらへら園長」の知られざる素顔 同級生は「ボンボンで口下手」!?

9月5日、静岡県牧之原市の認定こども園「かわさき幼稚園」のバスの中で、河本千奈ちゃん(3歳)が意識不明になっているのを幼稚園職員が発見した。バス運転手の増田辰義氏(73)は、記者会見で笑顔で応対するなど身のこなしを批判された(その後、学校法人の理事長・校長を辞任した。(その後、学校法人理事長、校長を辞任)増田校長に地元でインタビューした。


9月5日、静岡県牧之原市の認定こども園「かわさき幼稚園」で、3歳児の川本千奈さんが5時間バスに取り残され、死亡する事故が発生した。その日の最高気温は30.5度で、閉鎖されたバスの中の温度は50度を超えていたとみられる。地元記者が言う。

午後2時頃、職員が子どもたちを帰らせようと再びバスのドアを開けたところ、意識不明のチャイナちゃんを発見しました。暑さに耐えられなくなったのだろう。上着を脱いで短パン一枚になり、家から持ってきた水筒も空になっていた。すぐに病院に運ばれたが、体温は40度を超えており、熱中症より重い熱射病で死亡した。

歳であった・・・"
 どうして、そんな事態を招いてしまったのだろう。事件から2日後、学校法人榛原学園が開いた謝罪会見に、増田辰義理事(73)、杉本智子副理事(58)、弁護士の3人が姿を現した。報道陣が質問を集中させたのは、中国さんが亡くなった日にバスの運転手をしていた増田理事長で、幼稚園の園長を兼務している。つまり、事件の当事者であり、幼稚園の最高責任者の立場にある人物である。

にもかかわらず、記者会見では、自分が起こした悲劇を他人事のように説明する場面が何度もあった。

例えば、亡くなった中国さんのことを「ちなつちゃん」と間違って呼んだり。事件当日、バスの運転を担当していたスタッフが忌引休暇で代わりがいなかったため、自分でハンドルを握った。

また、事件当日、バスの運転担当のスタッフが忌引きのため解雇され、代わりがいなかったので、自分でハンドルを握ったとも述べている。高齢のため、次に何をしたかは覚えていない。"

そして

人を雇うというのは非常に難しいことで、今の時代、なかなか見つからない。人を探すのに大変な苦労をして、やっとの思いで見つけるのです。もしよろしければ、皆さんに紹介していただきたいのですが......。"

よかったら皆さんに紹介してほしい」などと軽口を叩いたりもした。会見中、報道陣から「声が小さくて聞き取りにくい」と指摘されると、「最近は寝不足で、声が大きくないんです」と返答。

また、「最近は寝不足で声がかすれているし、年をとっているので、少し声が荒れている」と言い訳をした。

最も大きな発言は、記者会見の最後にあった。

笑いながら、"公園を閉鎖しなければならないかもしれませんね "と言った。
 増田理事長の本性がよくわかるので、以下、そのやりとりをそのまま記す。

増田理事長 "皆さんの協力で良い保育園を作り、また私がいなくなった後、さらに良い保育園になることを願っています。......

出席した弁護士 増田理事長:「私が園を続けるかどうかは決めていません。

増田理事長。"ああ、なるほど "と思いました。保育園は廃園になるかもしれませんね(笑)"

(といった具合です(笑)。

一連の対応から、増田理事長は当事者としての自覚が希薄であることがわかる。

先の記者によると

静岡県警は業務上過失致死の疑いで増田理事長の自宅を家宅捜索しています。現在、警察は関係者から事情を聴いている。昨年、福岡県で保育園バスに放置された5歳児が死亡した事件では、責任者が逮捕されることなく在宅起訴された。今回の事件も同じ扱いになる可能性が高い。

増田理事長が明確に謝罪せず、責任転嫁ともとれる発言をしたことは、3年前に起きた「池袋母子死亡事故」を彷彿とさせるという声もある。元通産省官僚の飯塚耕三氏(91)は、この事故で逮捕されず、「車の暴走が原因」と弁明したことから、「上流国民」と揶揄された。

代々、製茶工場を経営していた......。
 実は、増田理事長は地元では「校長先生」とも呼ばれ、名士として尊敬を集めていた。牧之原市の行政改革審議会委員に選ばれたり、地元警察署と協力して園児を引き連れ交通安全啓発パレードを企画したり。皮肉なことに、静岡県安全運転管理協会などから、優良運転者であることや交通安全運動への貢献が認められ、たびたび表彰を受けている。

一時は周囲から出馬を勧められるほど、地域社会の世話役だった」と増田所長は言う。

増田理事長の家の近所に住む男性は、「代々、あの家はお茶工場だったんですよ。

代々茶工場を営んできたが、20年ほど前からお茶の需要が減り、農家も厳しい時代になった。校長自ら、父親が経営していた学校法人の経営に積極的に関わるようになったのです。"

同校のホームページに掲載されている増田理事長の経歴によると、地元の榛原高校を経て、1972年に専修大学経営学部を卒業し、1999年に浪速教育短期大学保育科を卒業した。

3年後の2002年、父の後を継ぎ、学校法人川崎幼稚園の理事長を兼任する。

変な笑い方をするクセ
 増田理事長の同級生の一人が回想している。

父親は海軍兵学校出身で、非常に厳しい人だった。それに対して、二代目の彼は、人生の苦労を知らずに継いだボンボン。社長や取締役といった肩書きは立派だが、昔から口数が少なく、とてもぶっきらぼうな人だった。思ったことをそのまま口に出すタイプだが、根は真面目な人である。

他のクラスメートに聞かれたとき。

立吉(増田理事長)は記者会見で、保護者が激怒するのも無理はないような回答をした。確かに私も悪い答えだと思いましたが、彼は中学生の頃からしゃべった後に変な笑い方をする癖があるんです。誤解されるような笑い方をするのだ。だから、記者会見でも緊張してしまい、余計に変な癖が出てしまったのだと思う・・・"

増田理事長を知る地元政界関係者は、「この冬に入ってから、増田理事長は、このニュースを見て笑っている」と明かす。

増田理事長を知る地元政界関係者は、「この冬に入ってから、増田理事長は激やせした」と明かす。がんを患って1カ月ほど入院し、内臓を摘出する手術を受けたという。今思えば、バスの運転は大丈夫だったのだろうか。

と思い、"引退 "を考えていたそうです。
 実は、事件が起こる前、増田は体力の限界を自覚し、「引退」を考えていたという。

もともと宴会が好きで、昔の仲間を集めてワイワイやるのが好きな人だった。同級生の動向は、本人が一番よく把握していたと思う。お酒はあまり飲めないタイプでしたが、がんを宣告されてからは、まったく飲まなくなりました。一時期、うつ病になったこともあったが、最近はかなり回復していた。それでも、もう73歳になるし、いつやめようかと考えていると言っていた。息子たちの世代に引き継ぐつもりだったんでしょう」(別の同級生)。

増田理事長の長男は、すでに当該学校法人の事務局長として経営に携わっている。また、別法人を設立し、複数の保育園を運営するなど、法人の多角化に貢献しているという。

彼は、「少子化を念頭に、先手を打って子どもたちを集めなければならない。経営面でも危機感を持っていたのだろう。

また、増田理事長と親交のあった地元の市議会議員も「牧之原市は子供の数が多い。

牧之原市は保育園を2園、増田理事長の学校法人に委託している。実は3つ目の保育園も増田理事長の会社が委託したいと手を挙げ、市議会はそれを待っていたのです。他の市議会議員からも「排他的すぎる」という声が上がり、結局、この案は否決された。やはり、あまり事業を拡大すると、人件費などが削られ、経営が杜撰になる。その結果、被害を受けるのは子供たちや保護者たちである。

偶然にも、市議会議員の不安は、最悪の形で現実のものとなった。

露呈したずさんな管理
 謝罪会見で増田理事長は「人手不足」を言い訳に繰り返したが、その後の県警の捜査で、死亡した中国さんの出欠確認を職員が怠っていたなど、ずさんな管理体制も明らかになった。

保育施設の問題に詳しい元帝京大学教授で保育研究所所長の村山雄一氏。

元帝京大学教授で保育研究所所長、保育施設の問題に詳しい村山雄一氏は「今回のケースでは、事業が拡大していなければ管理体制はもっと緩やかだったのではないか」と指摘する。理想は、親が送り迎えをして、子どもの状況を担当の先生に直接伝えることです。また、帰宅後、先生から保護者に子どもの様子を報告することもできます。このような言葉によるコミュニケーションは、バス園ではなかなか難しいものです。しかし、バス送迎が必要であれば、キャッチボールができるような環境を園側が工夫することが必要です。あの会見から、バスで子どもを預かることに対する認識と体制づくりが不足していると感じました。"

事件後、増田理事長は学校法人の理事長と幼稚園の園長を辞任したが、事件の現場となった幼稚園の処遇は宙に浮いたままである。

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