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らんまん  東京編 _93

出題範囲:第106話~第125話

キーワード:震災と渋谷の繁栄 永守徹の援助 万太郎の大学辞職 万太郎の植物学への情熱 


このクロスワードパズルは、主に朝ドラファンの方々向けに作ったものです。朝ドラで放送されたいろいろなエピソードを設問の形で紹介しています。読者の皆さんは、問題のなかの * で伏せられた文字を補ってエピソードを完成させてください。

 パズルの設問の内容を知らないときには、グーグルなどで、検索してみてください。例えば問題が朝ドラが“らんまん”でエピソードが“第10話”の内容だったとすると、グーグル検索などで、“らんまん”“第10話”と検索するとその概要を知ることが出来ると思います。また、関連するサイトのリンクも参照してください。

縦方向、横方向の設問は、朝ドラのエピソードをもとに作られています。* で伏せられた文字は、エピソードの内容から推理してみてください。

なお、このパズルの答えは、通常のクロスワードパズルと異なり、答えが必ずしも名詞だけでは、ありません。他の品詞が混入していたり、複合した名詞の一部や、方言なども含まれる場合があります。ご了承願います。

縦方向

1    寿恵子の店である待合茶屋“山桃”には、相島と **** 一三がやってきました。この **** 一三は、鉄道庁の相島に「鉄道事業はこの先、確実に我が国を支える柱となる」と熱く語りかけました。この一三には、モデルがあり同姓同名の阪急電鉄の創業者がおられました。第116話  https://www.hankyu-bunka.or.jp/about/itsuo/

2    地震発生の直後から東京に一斉に火の手が上がりました。万太郎の **** で千歳の夫でもある虎鉄は、勤務先の大畑印刷所の社長の大畑義兵らと消化活動に尽力していました。第123話

3    十徳長屋の落語家の *** 久兵衛が真打となり、長屋を出ていきました。第111話

10    渋谷は、大きく変化しました。それは、渋谷は陸軍の練習場になり、その影響で軍の施設がつくられ、陸軍相手の商いや兵士とのやりとりのために、全国から人が集まり始めました。さらに、電車の駅ができたことで交通の **** となり大きく発展しはじめました。第118話

7    永守徹は、伯父に *** として引き取られて、莫大な遺産を相続していました。彼は、京都帝国大学を卒業したばかりでしたが、近く兵役にとられて死ぬ可能性を感じていました。そのため自分の人生の意味や伯父の遺志について考えるようになっていました。第120話

4    万太郎は徳永教授に「大学は国のためでなく、植物学のために尽くすべきではないか」と言うと、徳永教授は万太郎に「大学教員の ** が渋谷で水商売をやっているのはいかがなものか」と大学本部から問い合わせがあったと言いました。第119話

8    大震災で住むところを失った東京の人達が渋谷に押し掛けたことにより、田舎だった渋谷は多くの人が行き交うところになっていました。寿恵子の店の常連で実業家の相島は、 *** たちが渋谷に投資したことは正解だったと誇らしげ言いました。第125話

13    綾と竹雄と藤丸は、新しく酒をつくるために沼津へ移り住もうとしていました。この綾は女優の *** 由衣さんが演じておられます。第120話   https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009123216_00000

15    寿恵子がお茶を持って行くと、万太郎はムラサキカタバミの説明文を書いていました。万太郎は原稿が焼けても、少しずつ始めようとしていました。寿恵子はどんな逆境でもくじけない万太郎を好きだと言い万太郎に寄り添いました。すると万太郎は寿恵子を抱き寄せ、頬に優しく ** をしました。第125話

横方向

5    震災から1か月ほどたち、住む *** を失った130万人にも上る人が、渋谷に移り住んできたので、渋谷はたくさんの人でごった返していました。しかし寿恵子はまだ渋谷に待合茶屋をだすか迷っていました。第125話

2    万太郎が大学を辞めて12年の歳月が流れました。資産家の永守からの協力の申し出もありましたが、万太郎は相変わらず植物図鑑づくりに ***** を注いでいました。そんな折に関東大震災が起こりました。第123話

9    自由民権運動で万太郎と知り合った逸馬は、資産家の永守を万太郎に紹介しました。永守は、万太郎が **** する十万点の植物標本の保管と図鑑の出版費用を援助したいと言いました。第118話

6    大震災が起こる直前には、万太郎は植物標本を嬉しそうにながめていて、寿恵子や千歳はちょうど **** の準備をしていました。そこに地震が起こり、飾り棚から写真や絵が落ち、家中のものが倒れ、屋根も崩れかけました。第128話

14    滝沢馬琴は目が見えなくなっても作品を書いた人で寿恵子は尊敬していました。万太郎も地震で標本や原稿を失っても元気なままでした。寿恵子は万太郎が無理しているのではないかと心配しますが、万太郎は、寿恵子に「馬琴も自分も自分 *** が感じた嬉しさを誰かに届けたいだけだ」と言いました。第125話

12    永守徹の叔父は、日本を世界に引けのとらない文明国にすることに力を尽くしてきた人で、実のあることに自らの *** を使いたいと考えていました。西洋では、博物館や美術館があり、優れた芸術品の国外流出を防いでいて、徹も万太郎の植物標本の散逸を防ぎたかったのでした。第120話

11    大地震の数日後、寿恵子の息子の百喜と大樹が待合茶屋の“山桃”にやって来て二人の無事が確認できました。二人は、市内は火災で、まるで戦場のようだと話しました。そして、慶応義塾の ** 庫に侵入し、その ** をかざして自警団だと言い張る集団も現れているということでした。第124話

16    万太郎は、南方 **** から植物標本や手紙などを受け取っていましたが、大学職員であるという立場を考えて、 **** には会っていませんでした。しかし、徳永教授は、「もし万太郎が廃社される神社の森で採取してつくった植物図譜を出版するならばもはや庇えない」と言いました。万太郎は徳永に辞表を出しました。第122話

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