高校野球と人権【読書感想】#理不尽な世界の人間達(その2)<俺は野球部なり>
「朕は国家なり」〈監督は絶対王政時代の「王」〉
先程(その壱)の話では選手達が機転を効かせて、絶対的権力を持つ監督に対し抑止力を働かせたが、実際には稀である。
選手の獲得、起用、育成の権限を全て持つ監督は絶対的な権力者であり、ガバナンスも機能していないことから正真正銘の無敵状態である。
絶対王政時代のルイ14世は「朕は国家なり」と言っていたが、それを監督に置き換え「俺が野球部だ」と言い換えても違和感が無いことに「背筋が寒くなる」と著書は述べている。まさしく高校野球の監督は「生殺与奪の権利」を有する。
その「生殺与奪の権利」について著書では、2018年5月の日大アメフト部による「反則タックル問題」を取り上げた。
体育会系の世界で「干す」と言うと、監督が意図的に選手を出さないことを示すが、著書では「干される」という状況は選手にとって「投獄や死」と同義であると説明している。
日大アメフト部では、その対象になることを「はまる」と呼んでおり、その救済手段として監督は「反則タックル」を提示した。
干された選手にとってそれは「DEAD(死)OR OBEDIENCE(服従)」の選択であり、まさに絶対王政のコントロール方法である。
これは20世紀に名将と呼ばれた監督達のコントロール方法と酷似しており、30年前の漫画でロールモデルの様な監督が登場していたことを思い出した。
『タッチ』作者のあだち充氏の『H2』という作品に登場する栄京学園の城山監督である。
<城村監督については次回説明します。>
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