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信金マンがお金について本気で考えてみた


17年振りに復活した「あの名曲」


『♩〜よーく考えよう〜お金は大事だよ〜』
TVから懐かしい歌が流れ、不覚にも耳を傾けてしまった。
某保険会社CMの「あの名曲」が17年ぶりに復活したらしい。
17年前の私はこの身も蓋もない内容の歌詞について、
「当たり前でしょ」程度の感想しか無かった。

しかし、あれから17年が過ぎ、改めて「あの名曲」を聴いた感想は、
「実に奥深い」
不覚にもそう感じてしまった。

「多分、歳を取って偏屈になったのだろう。」
そう冷静に分析している私の耳に、国民的イケメン俳優が
『♩〜考えよう』『♩〜大事大事』
などと合いの手を入れ、私の思考を混乱させてくる。
「よし、そこまで言うならお金が大事かトコトン考えてやる。」
気味が悪い不思議な感覚を振り払うように、実にくだらない決心をした。
50歳になる田舎信用金庫の「いいおじさん」が、「お金は本当に大事なのか」という「どうでもいい難題」を本気で考える。

本当に大事なものとは

某保険会社のCMはガン保険を宣伝している。
顧客のライフサイクルに寄り添う為には、相手の立場に立ちトコトン考えることが肝要。
実に泥臭いノウハウであるが、片田舎の信金マンとして、数多くの顧客のライフイベントをサポートしてきた。
なので、今回もガンを宣告された自分をイメージしてみる。

私のガンは「ステージ4」、余命6ヶ月と宣告された。
と、本気でガン患者になりきり考える。
「どうして自分が・・」「家族はどうなる」「死にたくない」etc・・・。
様々な感情が入り混じりカオスの状態になるが、ようやく冷静になる。
その時、今まで見えなかったモノが見えてくる。
「あと6か月か・・・」
「命」が可視化された瞬間である。

誰しも自分の寿命はわからない。
故に命は無限と感じる時もあれば、死に怯えることもある。
しかし自らの余命を知った時、「時間=命」であり、「限りあるもの」であるということに気付く。
「お金」は貯めたり増やすことが出来るが、「時間」はそうはいかない。
また「時間」は「お金」と異なり、誰に対しても平等に与えられ、しかも目に見えないものだけに大切さが実感しにくい。

例えば目の前であなたの10,000円紙幣が1分毎に1枚づつ燃やされるとする。
多分、あなたは1時間を待たずに気が狂いそうになるだろう。
それと同じ事があなたの「余命」においても起きている。
それは、あなたが生きている限り10年でも20年でも休む事なく続く。
「命の次に大事なお金」という言葉をよく聞くが、「命」と「お金」は順位付け出来るものでは無い。
本当に大事なのは「命」、すなわち「自分の人生」であり、「お金」は「人生」があって初めて活きるものである。
この大前提は「お金は本当に大事なのか」という事を考える上で、非常に重要になってくる。

妄想の続き 〜万が一の備えとお金の関係〜

私の妄想に近いイメージ活動は絶賛継続中である。
「住宅ローンはどうしよう」
「残された家族へのローン負担は?」
多額の住宅ローンが残っており、月々それなりの返済をしている。
しかしその心配は杞憂に終わる。
ガンと宣告された時点で住宅ローンは無くなるのだ。
住宅ローンを組む際、団体信用生命保険への加入が義務付けられている。
通称「だんしん」と呼ばれるこの有難い保険は、オプションを付けると利息が上乗せされる場合があるが、基本的には利息に含まれる。
要するに負担感ゼロの保険なのだ。
元々は死亡時のみに適用されたのだが、商品の発達により現在ではガンと告知された場合や生活習慣病で一定程度の条件を満たした場合でもローン全額が無くなってしまう。
商品によっては金利上乗せ無しで、手術時などの短期保障、長期入院に対する月々返済額の保障。更には「配偶者がガンと告知された場合、100万円支払います」という、もはや訳がわからない保障もあり某保険会社のガン保険も真っ青である。

「住宅ローンは大丈夫ということは分かった」
「しかし医療費は?入院費は?高額になったらどうしよう」
間髪入れずに、新たな不安が生まれる。
その時、長男が2歳の頃に手術入院した事を思い出した。
私の長男は生まれつきの障害を抱えており、手術に耐えられる年齢になるのを見計らい大学病院で大きな手術に臨んだ。
何万人に1人というケースの症例であり、教授先生自らがメスを取る。手術も無事に終了し、2週間程度の入院で済んだ為、「貴重な体験だったな」と安心していた矢先、驚愕の請求があった。
『¥1,000,000円也』
「ザックリとした金額だな」という何とも呑気な第一印象の後、次第に現実味を帯び「どうしようか」という感情に変化していく。
しかし「結果的に支払ったのは10万円以内」というのがオチである。
「高額療養制度」や「乳幼児の医療助成」等の公的医療制度を諸々組み合わせた結果、このような金額に納まったのだ。

仕事柄、某保険会社の営業担当と話すことが多いが、この手の話題になると「公的保険が適用されない高額な先進医療や差額ベット代が・・」という返しがある。
しかし先進医療を受ける人の割合や、差額ベット代の実質的な負担額を質問すると、「まあまあ」という雰囲気になってしまいウヤムヤになる。
その都度、「結局、そういうことなんだな」と勝手に解釈している。
いづれにしても「50万円程度の蓄えがあれば、医療費は何とか賄える」ということが分かった。

「入院中の給料はどうなる?」
「家計のやり繰りは出来るのか?」
少し安心したせいもあり、心配事が地に足のついた問題に移行する。
余命6ヶ月と宣告されても、運よく長引く場合もあるし、奇跡の回復も諦めていない。
その点も大丈夫である。
有給休暇が40日近く残っており、その後も公的医療制度の傷病手当金により最長1年半の間は給与3分の2相当の収入がある。
当面の間は何とか家計はやり繰りできるということも分かった。

「死亡した後の残された家族が心配だ」
ここまでくると心配事も最終段階である。
歌うアヒルさんも国民的イケメン俳優も守備範囲外の問題だ。
私の勤める会社には手厚い死亡退職金があり、子供の教育費に充てるだけの死亡保険にも入っている。遺族年金も出るだろう。
後は残された家族の自己責任だ。逞しく生きていく事を願うばかりである。

本気でガン患者になりきり本気でイメージした結果、お金の大切さより、公的医療制度の重要さが際立った。本当に「国民皆保険」を採用する日本に生まれてよかったという印象である。
「万が一の備えとお金」について良く考えたが、『♩〜大事大事』と合いの手を入れたくなる程の大切さは感じることは無かった。

しかし、妄想の先に新たな思いが生まれてきた。

妄想の先に見えたもの 〜お金と人生の順番〜

ガンに関するお金についてひと通りの不安を整理した後、死を前にして自分の人生と向き合う余裕が生まれた。
「あの頃は楽しかったな」「悔しい思いをした」
「よくあの辛さを乗り越えた」「もう少し頑張れたら」
走馬灯というものだろうか、今までの人生の様々な出来事が蘇る。
良い思い出も悪い思い出もあるが、圧倒的に多いのは後悔の念である。
「いつか機会があれば」と先延ばしにして来た事が、これ程までに多い事を痛感する。しかも先延ばしにして来た事のほとんどが「楽しい事」「好きな事」である。

「今からでも遅くない、残りわずかな人生、悔いは残さない」と固く誓う。
やり残して来た事が出来るお金もあり、自由な時間もある。今ならまだ体も動く、人生に後悔は残さないと、意を決して好きな場所に行き、好きなものを食べ、好きな服を着る。
そんな生活を始めて間も無くして、ある事に気付く。
「これって、今じゃ無い」
何をやっても虚無感に苛まれるのだ。
「お金」より「人生」が大切。
その順番を間違えると「豊かな人生」は送れない。
妄想の先にそんな事実が待っていた。
果たして「豊かな人生」とは一体なんだろう。

「豊かな人生」とは

私の次男は青春ど真ん中。甲子園を目指し白球を追いかけている。
かく言う私もかつては高校球児だった。夏の地区決勝戦、あの時の全校応援の大歓声と試合での緊張と興奮は、二度と味わう事の無い経験となる。
結局、主将の私が最後の打者になり、最高の経験は人生最大の後悔となるが、あの時のやり直しはどんなにお金を叩いても不可能である。
仮に次男が同じ場面を向かえても、私と交代することは出来ない。
自分の息子といえども彼には彼の人生があり、そこで経験する思い出は彼だけのものである。
2023年11月29日から12月1日までの3日間、2020年にコロナ禍で幻となった甲子園球児が集結するいう話を聞いた「あの夏を取り戻せプロジェクト」と言うらしい。
人には人の数だけのライフサイクルがあるが、その中で「青春」「あの時」「最後の夏」「あの夏」の時期は限定され、逃すと取り戻せない。
野球は好きで無いが、高校野球は好きと言う方は意外と多い。
それは「この瞬間は今しか無い」と言う現実を本能的に感じているからであり、その「はかなさ」と「けなげさ」に心打たれるからかもしれない。

前置きが長くなったが、本題は「豊かな人生」とは何かという話である。
しかしながら表面的な部分で言えることは、「はっきり言って、人それぞれ」という答えになる。
高級、上質なものに囲まれた物質的な豊かさを「豊かな人生」という人もいれば、質素でも精神的に満たされている人生を「豊かな人生」と感じる人もいる。価値観の数だけ「豊かな人生」はあるのだ。
しかしながら余命を宣告され自分の人生を振り返る事をイメージすると、一つの答えが見えてくる。

『一番必要な時に必要なものがある人生』が豊かな人生

「時間=命」であり、「限りあるもの」であるということは前述した。
「この瞬間は今だけであり、決して戻らない」という話にも触れた。
それでは、なぜお金が大事なのか。
それは時間には旬があり、旬を彩るためにはお金が必要だからである。

一番必要な時に必要なものがある人生とは

仕事の役割柄、若手職員やインターンシップの大学生に「住宅ローン」の説明をすることがある。
大学生に話をすると、何だがローンは恐ろしいという印象で抵抗感を示すことが多い。
そのような時、学生にこんな質問をしてみる。
「35年で500万円の利息を払って25歳で4,000万円の家を建てるか、お金を貯めて、35年後に4,000万円の家を建てるか、どっちがいい?」
予想通り「流石に利息500万円は、ちょっと」という感じで、60歳で家を建てると答える学生が大半である。

続いて、こんな質問をしてみる。
「その家ってどんな家?誰と暮らすの?60歳まではどこに住むの?」
「25歳の時に建てたのと同じ家を35年後に同じ金額で建てられると思う?」
学生たちは面倒臭いなと心の中で思いつつ、微笑んで黙っている。

そこでこんな説明をする。
「家を建ててから、自分が死ぬまでの人生を想像してみよう。25歳の時バージョンと60歳バージョンの2パターンをそれぞれ考えて」
「登場人物は誰かな。25歳バージョンには子供が登場するよね。最初は小さくて可愛いよね。家族が賑やかで子育ても大変だよね。でもあっという間に大きくなって20年も経ったら居なくなるよね。人生の中で家族で過ごす時間って意外と少ないんだ。だからその時間って大切なんだ。」
「60歳バージョンはどうだろう。夫婦2人しか居ないね。正月くらいは子供が帰ってくるね。でもまた寂しくなるね。家は新しいけど35年前から家の価格は倍近くなるし、何だか物足りないね。その時、25歳に家を建てた方が良かったと後悔しても時間は元には戻らないんだ」

・ローンはお金で時間を買うことで、時間軸を未来に進めることができる。
・だから35年後に建てる家を、今建てることができる。
・どんなにお金を払っても、時間軸を過去に戻すことは出来ない。
・500万円は大切な家族と今しかない時間を彩るための手数料。

実際にライフイベントをイメージさせ、こんな話をすると学生達は狐につままれた感じになり、25歳で建てた方がいいかなと考え方を変えてくれる。
60歳で家を建てるために、隣への騒音を気にして、子供を伸び伸びと遊ばせなかったり、子供のライフイベントをマイホームで行えなかったり、そのように人生を犠牲にして貯蓄に専念することは「豊かな人生」とは言えない。

「あの夏を取り戻せプロジェクト」以前の問題で、金銭的理由で高校野球を経験できない高校生もいる。大学への進学を断念する高校生や多感な時期に憧れの海外旅行に行けない若者も存在する。
仮に歳を重ねて結果として念願が叶ったとしても、18歳の時に見た海外の景色や地元の食べ物の味、大学での学びや人との出会い、甲子園への夢。
その景色や味や夢は全く違うものであり、代え難いものである。

時間には旬があり、旬を彩るためにはお金が必要である。
「豊かな人生」に必要なお金こそ『本当に大事で大切なお金』である。
お金の為に人生を使いがちであるが、人生の為にお金は使うもの。
その為にはお金の使い方を学ぶことが大切である。

「お金」とハサミは使い様 〜金融リテラシーについて〜

高校球児の次男の高校でも、金融教育が実施されており、資産形成の授業を受けていると聞く。
2024年に新NISA制度も始まることから、金融リテラシーといえば「貯める」「増やす」為の判断力を養うものという印象が強い。
一方、「使う力」、「借りる力」については、前述した学生がローンに対して警戒心を示したように依然としてネガティブに捉えられいる。
「借りる力」はキャッシングや特殊詐欺への警笛の必要性もあり避けられがちだか、時として未来への自己投資の為に必要な場合もある。
「使う力」も然りである。
「豊かな人生」のためにも、自分のライフサイクルにおいて、どのタイミングでお金を使うと最大の満足度を得られるのか。有益性や効率性を見極め機会損失を最小限に抑える為の判断力を養うのも立派な金融リテラシー教育である。
お金は使うためにある。そのお金を生きたお金に出来るか否かで、人生最後の瞬間を迎える時の満足度が決まる。
「貯める力」や「増やす力」も「使う力」が備わることよって意味を成す。
お金は「豊かな人生」のためにあるもの。
お金の為に健康や家族を犠牲にするなかれ。

『♩〜よーく考えよう〜お金は大事だよ〜』
単なる文字の羅列を「実に奥深い」と感じたのは、歌詞に自分なりの意味を見出したからでした。
言い換えると歌詞が自らの経験により裏付けられたということです。
お金についての解釈は、自らの経験に基づく個人的な見解であり、思い込みや偏見が満遍なく含まれております。
片田舎のしがない信金マンの独り言として受け取って頂けると幸いです。

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