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照魔機関 第9話2/2 天井下り事象 禍害降る家


異界天井と新しい仮説

「おかえりなさい。異界の入口と遺体を見つけたんですか?」

「どちらも見つからなかった。でも、だからこそ分かったことがある」

 子供部屋に戻ってきた四辻は、埃まみれのマスクとゴーグルを外し、天井を眺めた。

「天井下り——妖怪の名を借りたこの事象。案外、的を射ているかもしれない。
 大昔、天井は異界視されていた。現在でも、天井裏というものは、普段見通す事のできない身近な異界だ。天井下りがぶら下がる天井は、天井の姿を借りた異界なんだよ」

「それが、霊が遺体を盗んだり降らせたりする犯行手段に、どう関係してくるんです?」

「霊は、この家に二度も遺体を降らせたはずなのに、僕が今通ってきた天井裏は埃塗れで、誰かが通った形跡はなかった。霊はともかく、遺体が通れば埃が引きずられたりして、跡が残るはずなのに。

 そこに、天井からぶら下がる遺体が『天井から生えているように見えた』という目撃情報を組み合わせると、おそらくこの霊は——天井を異界に変える能力を持っている」

「霊が天井から、遺体や物を降らせたりできたのは、天井をすり抜ける能力を持っていたからじゃなかったんですね!?」

「うん。道理で反撃を気にせず襲って来る訳だよ。霊が異界にいる以上、僕達の攻撃は霊に届かない。異界に渡る為の穴を開ける前に、潰されて終わりだ。
 霊は、安全圏から遺体をぶら下げて、人間が目撃したことを確認してから遺体を落としていたんだよ。そうした方が、確実に恐怖心を煽れるからね」

「遺体を揺らしていたのは、揺らして見せ付けていたんでしょうね……」

 逢はノートに記入しようとして、あることに気が付いた。

「事故現場や走行中の車から遺体を盗んだ方法は?」
「同じ方法だよ。車にだって、天井はある」

「あ、天井に発生するから、遺体を運んでいるところを人に見られなかったんですね」

「いや、それは違うよ。怪異は天井を異界に変える力を持っているけど、天井がある場所に自然発生している訳じゃない。この家に入って来ようとしたのを見たよね? 怪異は外から忍び込んで、遺体を盗んでいるんだよ」

「でも、霊が遺体を持って道を歩いていたら、遺体が動いているのを目撃した情報があっても、いいような気がします。
 霊に遺体を消す能力があれば、隠したい遺体を異界に置いておく必要ないでしょうし……。どういうことなんでしょう?」

「天井が移動したんだよ」

「移動した、って?」
 逢は天井を見つめ、首を捻った。ふと、遠くで車のエンジンの音が聞こえた。

 何かを思いついたらしく、逢は自信ありげな視線を四辻に向けた。

「もしかして、霊は遺体を移動させるのに、車の天井を利用しているんじゃないでしょうか?」

「いいね。聞かせてくれるかな?」

「村人達の主な移動手段は、車です。辻で正面衝突を起こした車から遺体を盗めたのは、霊があらかじめ事故を起こした車の天井に隠れていたからだと思います。

 霊は遺体を事故車の天井に隠した後、隙を見て、事故処理にやってきた車の天井に遺体ごと移動した。そこからさらに村人の車に乗り移り、住処に戻った。

 もしかすると、正面衝突の事故も、霊の仕業だったのかもしれません。霊には、人間を恐怖させたいって動機がありますから。

 霊は落下物を降らせて、運転手を驚かした。そのせいで、驚いた運転手は操作を誤って、対向車にぶつかってしまったんじゃないでしょうか」

「付け加えれば、驚いた運転手はハンドル操作を誤ると同時に、ブレーキとアクセルも踏み間違えていたんだろう。人が三人も亡くなるような、大事故だったからね……」

 ノートを記入し終えた逢は、視線を上にあげた。

「それにしても、ここに遺体も異界もないとすると、トミコさんは、いったいどこに隠しているんでしょう」

 通知音が聞こえ、四辻は鞄からタブレッドを取り出した。しばらく画面をスライドさせた後、報告書が表示された画面を逢に見せた。

「池柁一家についての報告書が届いたよ。……トミコさんは、容疑者から外れた。彼女に、親しい友人や恋人はいなかった。恵吾さんが事件に関わった様子もない」

「で、でも、彼女は施設の地下で霊障を起こしたり、遺体をバラバラにしたりしていたじゃないですか! 太田捜査官も彼女を疑っていましたよ! 本当に違うんですか?」

「彼女の念が施設の記憶を呼び起こしたように、彼女もまた、天井下り事象の霊に影響されて行動していただけのようだ。タイミングが重なっていたから、太田捜査官も僕も、彼女が原因だと思い込んでいたよ……」

「あたしもです……。振り出しに戻っちゃいましたね……」

「いや、そうでもない。僕の正体を見破ったおみとしさまが、何の理由もなく怪異を見逃すはずがない。霊は、この村と縁がある人間で間違いないはずだ」

「トミコさんの前に亡くなった人……と、いっても、おみとしさまの一部になった霊が犯人なら、容疑者を絞り込むのは困難ですね。何十人……いえ、何百人いるんでしょう?」

「霊は、自分の顔を見られることを恐れている。もしこれが、自分の顔を村人や捜査官に見られることを避ける為だったとすれば、顔を見られたら正体がバレてしまうことを、霊は理解している。過去を遡る前に、もう一つ、思いついた仮説を検証してみたい」

「聞かせてください」

霊は、この村で生まれ育って、外に出て行った人間だった、というのはどうだろう。
 その霊は、この村に住む誰かを、自分の命よりも大切だと思っていた。事故なのか、故意なのかは、わからない。でも、その大切な誰かに、殺されてしまった。

 だから霊は、自分を殺した相手を庇う為に、自分自身の遺体を隠した。顔を見られたくないのは、霊が自分自身の死を隠そうとしているから」

「確かに、それなら村人がいなくなっていないことも、説明できますね」

「その人が村に戻ってきた時、おみとしさまは、よく観察したはずさ。そしてそれが、帰ってきた元村人だと気付いた」

「後でその人が村の中で霊になっても、元村人だと気付いていたおみとしさまは、霊が新しく加わった自分の体の一部だと思い込んでしまって、自分の縄張りを荒らす怪異だということに気付けなかった、ということですね」

「でも、もしその人を見ていたら、おみとしさまは覚えているはずさ」

「おみとしさまに聞く質問が決まりましたね。『はい』か『いいえ』しか答えてくれないようですが」

「でも縄張りを荒らす事を、おみとしさまは許さない。必ず正しい答えをくれるはずさ。事故現場から遺体を盗んだのが——」

 突然、四辻は不自然に言葉を切り、天井に視線を向けた。

「何か変だ」
 そう呟いて何かを探るように、上を向いたまま部屋の出口へと足を進めた。

「どうしたんですか?」
 四辻の方へ歩き出した逢の後ろで、小さな物音がした。

 振り返ると、さっきまで立っていた場所に出刃包丁が畳に突き刺さっていた。


禍害降る

「あれ、包丁? 何でこんな所に」
「玄関に走って!」
 四辻に手を引かれ、逢は走り出した。すぐ後ろでは、落下物が絶え間なく床を叩く音が聞こえる。

 幸いにも天井裏にいる霊は二人の足より遅い。逃げ切れそうだ。

 四辻は玄関のドアノブを掴み、体当たりするように押し開けた。

 ——ガツンッ

「なにっ」
 ドアが外側から塞がれている。たった2㎝の隙間では、脱出できない。

 天井裏の気配が迫って来る。
 四辻は逢を姫抱きすると、落下物から彼女の頭を守るようにして、近くの部屋に走った。

 ——ドンッ メキメキ
 重い何かが廊下を砕いた。

 ドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッ

 落下物が廊下を破壊する音のあと、四辻は急に立ち止まり、逢を下ろしつつ天井に向かってふだの束を投げた。一枚一枚の札がほどけ、繋がり、まゆのように部屋の隅を覆う。

 窓を開けると、再び逢を抱え上げて先に外へ逃がした。その間にも、家の中にいる四辻を守る繭は落下物の雨でへこみ、傷つき、破れようとしていた。

 ダンベル、包丁、テーブル、ソファ、この家に残されていた大野一家の財産が、天井から降り注いで繭を壊そうとしている。

 窓枠を掴む四辻の上で、天井がミシミシ音を立てた。

「四辻さん!」
「離れて、逢さん!」

 外に転がり出ると同時に、天井そのものが落ちて部屋は押しつぶされた。

 四辻は素早く体を起こし、部屋の中に懐中電灯を向ける——木片と埃の中に影が見えた。それは屋根裏から下がり、ゆらゆらと揺れ、闇の中に溶けていった。

「気配が消えた。……そう簡単に、顔を見せてはくれないか……」

「四辻さん! 肩が」
 四辻の肩にはペンが刺さっていた。作業着に血が滲んでいる。

「ごめんなさい四辻さん。あたしを庇ったせいで……」
「大丈夫、大丈夫。作業着が頑丈だったおかげで、傷は浅いよ。ヘルメットも役に立った。逢さんが言う通り、大袈裟な装備に越したことはなかったね」

 手当てを受けると、四辻は玄関の方へ歩いて行った。追いかけた逢は、玄関の前にいくつも置かれた物をみて、絶句した。

「ドアを塞いだのは、この石だ」
「これも、あの霊の仕業ですか?」

「いや」
 四辻は庭に回り込むと、窓に懐中電灯を向けた。
「窓に貼った札が破り捨てられている。そのせいで結界に穴が開いて、霊に入り込まれたんだ。しかしこの札は、あの霊には剥がせなかったはず……」

 浮かび上がった可能性にうすら寒いものを感じ、逢は後退った。何かに躓き、バランスを崩しかけたのを四辻に助けられる。

「すみません。何かがここに——あ」
 懐中電灯を向けた地面には、複数の大きな石が並べられていた。
「この石、玄関に置かれていたのと同じ……」

 さらによく見れば、地面が不自然に陥没している場所があることに気付いた。

「四辻さん、これって……」
「おそらく結界を破りに来た犯人は、この石を見て、これで玄関を塞ぐことを思いついたんだ」

「そんな……どうして」

「当然、霊に僕達を殺させるためだよ。この石を置いた何者かは、霊の正体が暴かれる事を恐れて、僕達を消そうとしたんだ。
 でも、不思議だね……。何で犯人は、結界の壊し方を知っていたんだろう?」

「札が貼られていたら、剥がしたくなりませんか?」

「……いたずらで札が剥がされることは、多々あったよ。だから機関の退魔師達は総力を挙げて、ただ剥がすだけじゃ壊れない結界を編み出した。結界を壊すには、札を剥がした後、決められた手順で札を破かないといけないんだ」

 逢は改めて窓を見た。窓には、まだ幾重にも札が貼られている。

「こんなにいっぱい貼られているのに、たった一枚破き捨てられただけで、壊れちゃうんですね……」

 彼女の何気ない一言に、四辻は膝から崩れ落ちた。

「僕にだって、不得意なことは、ある……」
「よ、四辻さん?」

「結界は苦手なんだ……。『でも、今の四辻さんは攻撃すら満足にできないですよね?』って追い打ちはナシにしてほしい」

「思ってません! 思ってませんよ!」

「僕は守るより攻める方が得意なんだ。確か、太田捜査官もそうだったと思うな~。
 それに、結界は怪異に破られたんじゃなくて、人間によって壊された。それまではちゃんと機能していた。つまり僕の結界は、しょぼく、ない!」

「……ごめんなさい。気にしてたんですね」

「…………ノートには書かないでね」

 ノートを取り出そうとした逢は、その手を下に下ろした。四辻が結界を張るのが苦手と知っていれば、今後何かサポートできるかもしれないという親切心からくる行動だったが、四辻本人に懇願されたので、やめた。

「えっと……お、太田捜査官も守りが苦手なら、この家に入る前に、札を四辻さんみたいに沢山貼っていたかもしれませんね」

「落下物を警戒していれば、貼っていたかもしれないけど……。霊が攻撃してきたのは、あの時が初めてだったから、もしかしたら、貼っていなかったかも——」

 四辻は言葉を区切り、窓を注視した。

 逢は首を傾げた。行動を見守れば、四辻は窓に貼られた自分の札を剥がし、その下に隠されていた物を露わにした。

「太田捜査官の札だ。今朝、この窓を担当した職員は、横着して彼の札の上から僕の札を貼ったのか……」

「じゃあ、太田捜査官達はこの家を調べる前に、結界を張っていたんですね!」

 何かに気が付いたのか、四辻は険しい顔をして頭を押さえた。

「逢さん、病院に連絡して、加藤捜査官が目を覚ましたか聞いてくれるかな?」

 数回のコールのあと、病院の交換台を通し、加藤が入院している病棟に繋がった。

「お世話になっております。加藤の同僚の日暮逢です。加藤は、目を覚ましましたでしょうか?」

「少しお待ちください。今、担当看護師に……——え!?」

 急に電話が聞こえづらくなった。後ろの音が、やけに騒がしい。誰かが叫んでいるような音が聞こえたあと、保留音に切り替わった。

 電話機による長いクラシック演奏の後、別の女性の声が聞こえた。

「お電話かわりました。師長の村田です。実は……」

 加藤捜査官が、病院から姿を消した。
 出入り口にある防犯カメラにも、それらしい男性は映っていなかったらしい。

「彼も捜査官だからねぇ。カメラを警戒して、変装して病院から脱走したのかもね」

「起きたなら、どうして連絡をくれないんでしょうか」

「……相棒を殺され、捜査からも外された若い捜査官が考えることは、何となく予想できる気がするよ」

 四辻は溜息を吐いた。

「彼はここに来るはずだ。でも、ただ待っていてもしょうがない。先におみとしさまに話を聞きに行こう」

「『事故現場から遺体を盗んだのは、昔この村に住んでいて、外に出ていった人間の霊でしたか』って聞くんですね?」

「うん。おみとしさまの答えが、

『はい』なら、霊は他の土地に移住して暮らしていた元村人。

『いいえ』なら、霊はこの村に住み続けていた人間になる」