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羊の話

夜寝るとき、息子は本を読みながら寝る。
その日は、寝る時間が遅くなってしまったので、
本を読まずにすぐに寝るように息子に伝えた。
だが、しばらく経っても眠れない様子。
じゃあ羊でも数えたら、と適当なアドバイスをした。

そしたら、
「俺が夜、羊を数えるとカラフルなのとかいろんな羊が出てきて、
眠れなくなっちゃうんだ」
と。

え?カラフルな羊?いろんな羊??
自分の脳内の羊と息子の脳内羊は全く別物だと知り心底驚く。
自分の脳内羊は、白一択。大きさも全部同じで、一つの柵を順番にピョーンピョーンと越えていく。一糸乱れずに。

それが、カラフルだと?いろんな羊だと?
何十年も生きてきて、時々羊を数える夜があったけど、そんなへんてこりんな羊は登場したことがない。
今まで息子にしていた羊のアドバイスは逆効果だったということか。今更頭を抱える。

確かにいろんな場面で、息子と私は感じ方が違うし、着眼点も異なる。
例えば餃子の包み方もそうだ。
私が子供の頃、母から餃子の包み方を教わったのだが、母が作った形と同じように作ろうと苦心した。そこに決して創造性などない。ひたすら同じ形で作っていく。

ところが息子ときたらどうだろう。
初めて一緒に作ったのは、確か年少か年中の頃だったと思うが、一つ目は私が教えたように作った。だが、二つ目以降、二度と正規の餃子が作られることはなかった。四角形だったり、ベンツのマークみたいだったり、皮を二つ使って”二餃子”と言ってみたり。

その時も、え?ってなった。
そんな餃子ありなの?って。
私は、餃子というものはこういう形だ!!と認識しているので、そこを脱線しようと思ったことがない。
むしろ、同じ形でいかに早く作るかに重点を置いていた。まさか餃子に変化系があるなんて思ってもみなかったし、教えたとおりにやらないことにも驚いた。

子供は、自分の思い描く枠になんて収まるはずないのに、自分はこうだったから、とか、理想、標準という枠にとらわれ、それに当てはめたり、押し込めようとしてしまう。
特に私は、その傾向が強かった。
息子を育てて、ようやくその呪縛から自分を解き放つことができつつある。

それでもまだまだ思い込んでいることがたくさんある。
今回の一件で、改めて自分と息子では、見えている世界が違うということを知った。
そして、普段は見えない息子の脳内を見たようで面白かった。

みんなの羊はどんな羊なんだろう。



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