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親の気持ち

私は子供を大切に育ててきた。

子供が生まれて親になって、喜んだり、悩んだり一喜一憂しながら一生懸命に育ててきた。

でも、息子が不登校になって、私の子育ては本当に子供達のための子育てだったんだろうかと考えるようになった。

私は母親なんだから。

親とはこうあるべき。

妻とは、嫁とは、娘とは、親子とはこういうものだ。

世間でいう常識や私が今まで経験してきたことが私の中での当たり前で、不登校という”当たり前”から外れた息子を認めてあげることが出来なくて、なんとかして当たり前に戻そうと躍起になっていた。

将来息子が自分で道を選択するときに、高校に行けなかったとか、出席日数が足りなくて行きたい高校を選べなかったら可哀想だとか。

確かにそれは一理ある。

ただ、私はどこかで子供を不登校にしてしまった母親のレッテルを気にしていたのでないか?

他人からどう思われるんだろ。

子育てに失敗したんじゃない?

甘やかしてるから。

そう思われたくなくて。

自分が十年以上もの間、子育てを立派にやってきましたということを肯定したくて。

私は間違ってはいないと思いたくて。 

でもこれって、もはや子供のためではない。

大切な私のためだ。

私は子供を見てたんじゃない。
世間体や自分を見ていたんだ。

心底自分にガッカリした。

自分が大切に守ろうとしていたものは何だったのか。

大事にしてきたものが、ガラガラと崩れていく感じがした。

その日は、食事もとらずに何もやる気も起きず、一日中立ち上がることが出来なかった。

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