なんでも言語化すればよいってもんじゃない
私は、何かに心動かされたり、感動したら、その気持ちをうまく言語化できるまで、ウズウズしながら考え続ける。感情や感覚的なことも、それをズバリ言い表せる言葉が見つかるとすっきりして安心する。
大学時代は、ひらめいたことや気づいたことを「なんでもノート」にずらずら書き留めてた。結果だけでなく、仮定や思索途中の考えについても書いた。
気の向いたときに好きなだけ書いてたので、毎日書く日記と違ってけっこう長く続いた。
ただ、手書きのノートにはデメリットもあり、
・どんどん湧き出る思考に書くスピードが追い付かない。文字を書いてるうちに考えてることを忘れてしまう。(漢字は特に画数が多いから)
・思考に追い付こうと急いで文字を書くと、文字が汚くなって後から読み返すのが面倒。
・何冊も増えていくとかさばる。家族に読まれる可能性がある。
など。
結局去年、もう読み返すことはないだろうと思い、シュレッダーにかけて捨てた。
そこで、日記アプリにしてからは、文字が見やすくて読み返せるし、手書きより早く文字を打てるので便利。いらなくなった記事をピンポイントで消すのも簡単。
そんなわけで日記アプリはいい。
改めて、手書きだろうと電子だろうと、言語化して残しておくことメリットって
・後で読み返せる
・自分の思考を客観視できる
・考えが明確になり、自分が求めていることに気づける
・吐き出すことですっきりする
これらに加えて、
書き留めておくことで、同じことを二度考えずに済む。続きから考えられるから、効率いい。
これに尽きると思う。
私は、気になることがあると、何日も同じことを考え続ける性格で、同じことばかり頭の中で堂々巡りする。この前どこまで考えていたかも忘れてしまう。
ということがあったので、思考の経過を書き残しておくことって時間の節約になる。
ノートを見返せば、このことについては前にも考えてある…と気づいて、安心するし、「私ったらまた同じことを考えてるよ」と冷静になれる。
これは、書き残すことの最大のメリットだと思う。
だけどもなんでもかんでも言語化すれば良いってもんじゃないよね、というのがここ数年の気付き。
言語化することで、自分がすっきり納得できることもあるけど、言語化することで薄まることもある。
一人で分析するぶんにはよくても、人に伝えることに関しては慎重になりたい。
特に、感覚的なことは感覚的なまま、無意識的なことは無意識的なままの方が良い場合もある。
具体的なわかりやすい例を挙げると、
私は、人が無意識にしてる癖について「○○なときにあなたがする、△△な仕草いいよね!」って詳細に本人に伝えたことがある。本人は無意識にしてて気づいていなかったことらしいんだけど、私が伝えてからわざとやるようになって、「それは違うよ…」と思った。
一度意識させてしまったら、もう二度と無意識には戻れない。
これは一例に過ぎないけど、
言語化することで、無意識から意識に変わって、ナンセンスになることってあるよね。言語にすることで、薄っぺらくなることってあるよね。
あえて言葉にはしない美学もあるなと最近思う。たぶん私には難しいけど。
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