「正しさ」を求めると板挟みになりやすい
私は人の愚痴や文句を聞くのが苦手だ。
Feが弱く、共感力が乏しいせいだと思っていたが、どうやらそれだけではないみたい。
明らかにどっちかが間違えてる、とか、大っ嫌いな人の愚痴とかなら話は別だけど、「どっちもの言い分/言動も間違えてはいない」「どっちの言い分/言動も一理ある」となると返答に困るのだ。
こうして板挟みになりがちだ。良くいえば、中立的。
私はどうやら「正しさ」で物事を推し量るところがあるようだ。その正しさの基準って視る方向性によって変わってくる。世の中、どっちかが完全に間違えてるなんてことの方が少ない。両者から詳しく聞けば聞くほど泥沼にはまる。
そういうときに、自分の中の軸となる物差し(Ti)があればブレないんだろうけど、私は客観的な正しさ(Te)に頼ろうとするから判断に困るんだと気づいた。
私は事実が全てとも思ってなくて(Siが弱いから?)、事実よりも背景を注視しがちで、より物事を複雑に捉え、問題解決に至らない(解決しようとなんてしていない)のかもしれない。
共感力(Fe)は弱いので愚痴ってる人に惑わされることはないのだが、私の主観的な思い(Fi)はいろいろある。でも、独断と偏見で主観的に答えることは避けたくて、人に伝える上ではできるだけ客観的でありたい。(仲の良い人相手なら感情論(Fi)をガンガンぶつけることもあるが)
人に意見するにおいては、自分の意見を裏付ける客観的な根拠が欲しい。何が正しくて正しくないのか。社会的なことならまず法律を調べ、それを元に検証する。
自分の中に確固たる判断基準があるわけではないから、もしかして、私はTiよりTeの方が強いのかな。(そうなるとINTPじゃなくなるかも…?)
外の基準(Te)って環境や時代、国によっても変動する不確実なものだから、自分の中にコレという基準(Ti)があった方が普遍的で強いよね…って気づいた。
まぁ、20代で自分の価値観凝り固まってたら、それもそれで頑固な人だけど、20代のうちに見識増やして自分の価値観や信念を固めていきたいなって思う。
よく遭遇する板挟みの話について。
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