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物語の作り方 No.6           

第2回 物語をどう組み立てるか。

 なんでもいいから書きたい。書いてやろうと思い立ったとき、私もふくめて多くの人は無意識にストーリー(話の筋)を考えます。ところが、いざ、机にむかうと、常日頃、胸の奥にある名状しがたい感情を物語る作業は思いの外、難儀だと思い知ります。
 それでもどうにかこうにか、ストーリーらしきものを思いついても、原稿用紙の枚数に換算すると、十枚ほど書いたところで思考停止状態に陥る。
 言葉を連ねれば連ねるほど、自分の気持ちとズレていく――。
 このような経験はありませんか?

 物語をつくる才能に恵まれていないと感じたとき、どうすればいいのか? 
 面倒臭いですが、準備をするしかないと思いませんか?
 第1回の復習になりますが、再度、書いておきます。
 この中の一つでも試してみてください。

①はじめての物語は自分の体験を題材に選ぶ。
②キーワードを見つける
③記憶を呼び覚ますためのイメージ訓練をする。
④手助けとなる資料(写真、日記など)を用意する。
⑤メモを時系列に並べる。
⑥物語の主軸(テーマ)となる文章を探す。
⑦プロットの原型を考える。

1)ストーリー(物語の筋)とプロット(物語の構想)の違いについて。

 だれが、いつ、どこで、何をしたというのが話の筋(ストーリー)
に、「なぜ」が加わるのがプロット(物語の構想)であると言われています。まさに5W1Hです。

ストーリー

例文)王が死に、それから王妃が死んだ。

 この文章では、王の死後、王妃が死に至ったという事実のみが語られています。

プロット

例文1)王が死に、悲しみのあまりに王妃は死んだ。
例文2)王妃は自ら命を絶った。そのわけを誰も知らなかったが、
   王の崩御を悲しんだためであると侍女はみなに告げた。

 上記の二つの例文は、王妃が死に至った理由が、憶測もふくめて書かれています。

 この王と王妃の例文は、ストーリーとプロットの違いを説明するさいに、かならずと言っていいほど取り上げられます。

 短い文章で読むとわかった気分になります。若い頃の私は早とちりの天才であったと思います。わかったような気分で駄作を書きなぐっていました。それはいまも変わりませんが、高齢者となり、人生の終幕を感じるようになり、以前より、少し、物事の本質が見えてきました。三十代の私は、自分を中心に世界が回っていると勘違いしていました。自意識過剰だったわけです。客観的に周囲を見る能力がなかった、というより、見ようとしなかった。

 どうして、「なぜ」を考えなかったのか?

 答えは簡単です。自分にとって、不都合な真実に目を向けられなかったせいです。「なぜ」を問うべき記憶を無意識下に隠蔽していたからです。ユーモア小説を書かなくてはならないと思うあまり、ポジティブな思考になるための努力をしたのだと思います。

 物語る結末に至る理由をテーマの具体的表現と考え、作品全体を一つの思想=物の考え方で貫くようにします。純文学であろうと、エンタメ小説であろうと、自分史であろうと、この約束事は変わりません。
 これがないと、酢メシをつくるとき、酢を入れ忘れるような仕上がりになります。

 黄門さんの印篭が登場しなかったとき、テレビを見ている多くの視聴者は、テーマを忘れていると苦情を言った方は少ないと思います。いつものようにおもしろくないと憤ったのだと想像します。
 私たちが、本屋の店頭に並ぶ本を手にとり、買って読むとき、「おもしろいか、おもしろくないか」で判断していませんか?
 この感情を刺激するものの正体が、作家が読者に提示しているテーマだと私は愚考しています。作品の善し悪しは、テーマが明確に描かれているか、ないかによると思っています。

 ほんなら、どないしたらええねん!というところに行きつくわけです。

 カソリック信者であった遠藤周作氏は、一人の作家が、生涯を通して表現するテーマはどんなに多くとも、四つか五つしかないと書いています。自分は、井戸の底から水を汲み上げるようにして書いているとしたためています。
 遠藤周作氏の作品のテーマは一つだったと私は思っています。「どのような罪人であろうと、神の子イエスは、ともに歩む」であったと。

 これから書こうという人にとって、ストーリーの概要を思いつく作業はさほどむずかしいものではないと思っています。
 しかし、テーマの表現は、一筋縄ではいきません。
 ふと気づくと、自分の胸に中にあって、もやもやした感情の根源である正体不明の何かを、どういう形で表現していいのか、わからない。
 自分で意識できない思いを言葉に変える作業ですから、プロットを考える段階で、ただちにテーマを意識できる初心者はほとんどいないのではないかと思っています。

 テーマ(物語の主軸となる思想)とモチーフ(題材)、ストーリー(モチーフが繋がったもの)とプロット(物語の構想)の区別もつかない、わけがわからない状態で、物語のプロットを書けと言われても戸惑いを禁じ得ないと思います。
 この胸突き八丁のところを、踏張っていただきたい。
 なぜなら、そのときどきの気分で書きはじめても最後まで書ききれないからです。書ききったと思っても、満足のいく作品に仕上がらない。物語の途中で断念した経験のある方なら、ご理解いただけると思います。

 物語らしきものが自分に見えはじめた段階で、書きはじめるのではなく、この物語を通して、自分は読む人に何を伝えたいかを考えるようにします。それを文章にする。「愛」がテーマだとか、「死」がテーマだとか、巷に氾濫している漠然とした言い回しではなく、自分の考える物語の本質が何かを、最初に意識してください。そして、なぜ、その物語を書きたいのかを思い浮かべます。大げさなテーマを思いつく必要はありません。

「愛は死をも怖れない」と書くと、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」になります。シェイクスピアは天才だったので、異なるテーマで多種多様な戯曲を書き分けています。「マクベス」は、欲望が破滅を招き、「ハムレット」は、復讐が自らの死を招きます。

 私たちは天才でない。よって、劇的なテーマは書ききれない。

 このことを自覚し、おぼろげなストーリーであっても、全体像をイメージし、混沌としている脳のどこかに眠る感情に言葉を与えることに腐心してみてください。

課題①エピソードは箇条書きのままでもいいので、自分の伝えたいことを、文章にし書き加えます。それが、プロット(物語の構想)です。 

2)物語の構想とはなんぞや

 ひと言で説明すると、起承転結です。しょうもない説明で申し訳ありませんが、物語の基本構造とは、「なにかがあって、それが発展して、どうになって、おさまる」に尽きます。800字程度の短文の場合だとなんとかなりますが、短篇であっても小説となると、箇条書きのストーリーのどこからどこまでを起承転結の起とし、承とするのか、ましてや転とするのか、わかりにくいと思いますので以下に解説します。

 ……書き出し部分。
 印象的なエピソード(事件)を書き出しに置く。エンタメ小説の多数    がこの手法で書かれている。
 時系列で書き出す場合には、結びとの呼応を念頭に置く。

 ……つなぎ部分。
 起で書いたエピソード(事件)に至る経過の説明(回想)とその後のエピソード(事件)を時系列に書き加えていく。この時、もっとも注意することは、出来事のすべてを書くのではなく、転結に予定されているテーマに関連のあるエピソードのみを書く。

 ……展開部分(クライマックス)
 テーマを表現するのにもっとも適した事件(エピソート)を承の終わりのところ、転の入り口に置く。その上で物語の山場(クライマックス)をつくり、自分のもっとも言いたいこと(テーマ)を浮かび上がらせる。

 ……結びの部分
 起と呼応させる。(人・物・時間・状況など)。純文学の場合、省略されることがある。

 で、ここで、志賀直哉の短篇小説「城の崎にて」を読み解くとわかりやすい。

(起)主人公の私は電車に蹴飛ばされて九死に一生を得ますが、脊椎カリエスになるやもしれぬと医者に診断される。(当時の医療では、脊椎が結核菌に侵されると死に至る病でした)。

(承)つなぎの部分で、もっとも印象深いエピソードは、首に魚串が刺し通った鼠が必死で生き延びようとするが、見物人の車夫がおもしろがって石を投げる。鼠は魚串が邪魔してどこにも逃げられない。

(転)主人公が何げに投げた石がヤモリに当たり、ヤモリを殺してしまう。ここが物語のクライマックスと言ってもいい。作者は、このすぐあとに「自分は偶然に死ななかった。ヤモリは偶然に死んだ」と書いています。この一文で、読者に伝えたいテーマ「人生は不条理である」を提示しています。

(結)脊椎カリエスにならずにすんだの一行を書き、書き出しの文章(起)と呼応させています。

「小説の神様」と呼ばれるのにふさわしい一篇です。定規で計ったように書かれています。
 私見になりますが、ヤモリに石を投げたことは事実かもしれませんが、ヤモリがそれで死んだという部分は、創作だと思います。
 その理由1.電車に轢かれる病人は機敏ではない。
 その理由2.仮にヤモリに当たったとしても、殺す筋力がない。
 その理由3.ヤモリは病人が身動きし、石を拾った瞬間、察知し       て逃げている

 反論のある方もおありだと思いますが、志賀直哉先生が剛速球投手並みの石を投げられたとは、私には到底、思えません。
 しかし、ここは、クライマックスなんですから、石=黄門さんの印篭を出してヤモリには死んでもらわなくては物語にならない。
 事実を虚構化しないと、小説は成立しないと思ってください。
 私たちアマチュアは、肝心ところでウソが書けない。正確に描写しなくてはならないところを適当に書く。これはもうどうしようもありません。魚串が首に刺さった鼠の場面は秀逸です。

 大先生はこの小説を、どこで思いついたか? もうおわかりですよね?

 死が定まっているのに、鼠は生きようとあがきます。それは文豪自身の姿と重なります。これを見物した瞬間に物語を思いついたのだと思います。テーマがひらめき、一気呵成に書き上げた。
 小説の神様は、物語の構想を知り尽くしておられた。

 今回は、長くなりました。お付き合いくださった方に感謝します。

課題②お気に入りの作家の短篇を、起承転結で分析してみてください。


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