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【エッセイ】蛙鳴雀躁 No.31

 子供の頃から、人間関係のスキルが機能しなかった私の学校生活は惨憺たるもの。規律を守れない私はどの教師にも嫌われる。そんな子どもは、周囲の子からも敬遠される。
 学校でいちばん不思議だったのは、クラス替えになると、女の子たちはすぐに友達をつくり、次の学年になると、どこに行くのも一緒だった子同士が、よそよそしい態度になり、新しいクラスの子たちと友達になることでした。
 どうしてそんなことが可能なのか?
 いまも永遠の謎です。

 小学三年の通信簿の所見欄に、「協調性に欠け、独裁的な気質」と書かれる。十歳に満たない子どもなのに、ヒットラー呼ばわりされるようなことを、私がしたと言いたいらしい。

 なぜそうなったのか。

 食糧がいまのようにあり余っていない時代だったにもかかわらず、給食がどうしても飲み込めない。
 大きすぎるパン、脱脂粉乳のミルク。
 給食の時間になると、じっと固まるしかない。
 うすら嗤いを浮かべて私を眺める女のセンセイが死ぬほどイヤだった私はある日、黙って学校を抜け出し、家に帰るという暴挙に出たわけです。
 当然、大騒ぎになりました。
 親子ともども学校に呼び戻され、校長室で叱られました。
 謝らなかったし、シクシク泣かなかったので余計に悪感情をもたれることに。

 ひとりぼっちでも、死にたいと思ったことはありません。
 犬や猫が家で待っていてくれたからです。
 どんなときも尻尾を振って出迎えてくれるワンコ。
 夜通し、私の寝床で暴れ回って遊んでくれるニャンニャン。
 彼らはけっして態度を変えない。
 でもある日、クラス替えのように消えてしまう。当時の飼い犬のほとんどが、犬小屋で飼われているうえに残飯整理係だったので、三年くらいの寿命でした。夜遊びの好きな猫もニ、三年でいなくなる。

 犬が病死することは理解できても、なぜ、猫が忽然と消えるのか、わからない。まるで、クラスの女の子のようだと思っていました。猫がいなくなると、エサの皿を伏せて、もぐさを載せて線香で火をつけて、「帰ってきますように」と神さまにお願いしていました。そうすれば、猫が帰ってくると母が教えたからです。いまから思うと、アホらしい話なんですが、私があまりに泣くので、母は仕方なく、しょうもないマジナイをやらせたのだと思います。

 校長室では、ひと粒の涙もこぼさなかったのに、犬が死んだり、猫がいなくなると号泣していました。彼らが友達だったからです。
 ある晩、遅い時間に、猫の悲鳴に近いうなり声が聞こえたので、家の前の路地に出てみると、箱に閉じこめられた黒猫がいました。「猫捕り」を副業にしている人たちが、昭和30年代から40年代にはいたのです。どの家も、放し飼いだったので可能な仕事だったようです。
 その箱は頑丈で、いったん、入ると容易に出られない仕組みになっていました。まるで、教室のようだと思いました。
 記憶が鮮明ではありませんが、父が箱を壊して、中の黒猫を逃がしたことはたしかです。ヨソの子だったので、すぐにいなくなりましたが、その箱を置いたのは、近所の人にちがいないと母は言ってました。

 その人たちを告発する人などいませんでした。いま、ハトや捨て猫にエサをやるなという人たちはいます。去勢手術をして野良猫が二度と人間に懐かないようにされる方もいます。
 昔はそのかわりに、猫狩りがあったのです。
 野良犬は、保健所の職員が鉄輪で捕獲していました。一度、目にしましたが、悲痛な叫び声をあげる犬を吊り上げる男性の表情をいまも覚えています。子供の目にも哀しみの色が見えました。

 大人になるということは、自分が望まないコトもしなくてはならないのだと否応なく思い知りましたが、大人になる準備段階の学校も私にとっては首を吊られる犬に近い感覚がありました。
 話相手のいない子供にとって、学校は地獄です。

 小中高を通して学校に通うこと、女の子たちに遠巻きにされること、私以外の多くの子たちにとっては楽しみな遠足や学芸会などそのどれもが死ぬほど苦痛でした。
 子供の頃から休んでばかりでした。幼稚園も50日、通っただけです。行くのがイヤで犬小屋に隠れたため、このときも大騒動になりました。

 高校の卒業証書は、私のようなハミ出し者が学校に残ることを、教師が由としなかったのだと思います。出席日数も成績表も卒業の基準に達していませんでした。卒業アルバムの集合写真にすら映っていない。殴られることこそ、ありませんでしたが、女子で教室から追い出されたのは、全生徒の中で、私一人だったと思います。
 学校の建物を見るだけで悪寒がし、吐き気を催していた記憶しかない。孤独な私を救ったのは、学校を休んで観る映画でした。映像を見ている時間だけが、現実だった気がします。

 いまも、人の心の動きが見えていないのは、限られた対人関係の中で生きてきたからだと思っています。

 心のおもむくままに、人の輪の中に入れる日が来るのかといまだに思い悩む――私がいる。


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