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【エッセイ】蛙鳴雀噪 No.5

 1940年の開戦と同時に、ドイツとの国境沿いに、マジノ線と呼ばれる長い防衛ラインを敷いたフランス軍は、ドイツ軍に呆気なく突破され、1944年までドイツの占領下におかれます。
 今回の作品は、その時代のパリのミュージックホールの苦難と再生を、ふた組の男女を通して描かれています。
 小池修一郎先生演出の作品は職人芸ともいうべき手際のよさで構成されているうえに、それぞれの出演者への配慮も随所に感じられ、いつもながら見応えのある作品でしたが、やや物足りなさを感じました。
 歴史を改変することはできませんので、時系列でのナレーションは致し方のないことだと充分に承知していますが、個々のエピソードに過不足はなくとも、それらがクライマックスにむかったとき、散漫な印象を受けてしまいました。
「パリは燃えているか?!」の台詞がなかったからでしょうか?
 舞台上では、ヒットラーの命令として、「パリを焼きはらえ」という伝聞形式の台詞はあるのですが、それをためらう司令長官のもとにかの有名な「パリは燃えているか?!」と、ヒットラーの問うシーンが伝聞形式でもいいのでひと言でもあれば、盛り上がったのではないかと思うのは贅沢でしょうか?
 この舞台が、れいちゃん(柚香れい様)とまどかちゃん(星風まどか様)のサヨナラ公演だったので、そのように感じたのかもしれません。二人のデュエットダンスが大好きでした。
 夢のような儚いひととき。二度と繰り返さない、繰り返せないからこそ、一瞬、一瞬を尊いものに感じました。
 若い頃の私は、芝居が退屈だの、衣裳が使い回しだの、前の席のおじさんの頭が邪魔になるだの、とにかく不平たらたらの観客でした。ご贔屓のスターをオペラグラスごしに食い入るように見つめ、舞台全体を観ませんでした。時にはストーリーさえまともに覚えていないていたらくでした。
 もったいないことをしたと、頭が白くなって気づくありさま。たとえ真っ黒に髪を染めても時間を巻き戻すことはできません。
 いまでいう〝推し〟が舞台上にいないと、一番前の中央の席で居眠りをしたことさえあります。ご一緒した方に叱られました。
 その頃の私は、人生が永遠につづくと思っていました。今日という日がかけがえのない一日であるとつゆほども感じていなかった気がします。ひと公演ごとに、退団の日が近づいていると気づいたのは、ごく最近です。
 タカラヅカに入団した生徒さんは、青春の貴重な時間を費やして芸事に全身全霊をささげます。そして何年もかかって客席全体を包み込むオーラを身につけます。光輝くさまにファンはみな心酔し、「時よ、止まれ」と念じますが、満開の桜が散るように彼女たちは退団してゆきます。
 れいちゃんとまどかちゃんももうすぐタカラヅカを去ります。
 去る者は日々に疎しと言いますが、超イケメンのれいちゃんの華麗でおしゃれなダンス、愛らしいまどかちゃんの美声と巧みなお芝居を目と耳に焼きつけて忘れることはありません。
『美しき青きドナウ』を聴くたびに、二人の姿が目の前に浮かぶと思います。またすぐ観に行きます。お別れを言うのはもう少し先で――。
 ああ、せつない!
 れいちゃんが小さくうなずくと、まどかちゃんがれいちゃんのもとに小走りに駆け寄り、れいちゃんが抱きとめ、抱きあげ、ぐるぐるとなんども回します。
 世界が終わる日まで、この一瞬がつづきますように!


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