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「何のため」を考える
またドラマ『舟を編む』の話。
今回の話は、「疑って」がキーワード。
主人公がゲラをチェックする時に、原稿に書いてあることを疑う必要があるってところから始まって、ことばを疑う話が展開していく。
この「疑って」には先があって、
「信じるために疑う」ということ。
ゲラへの疑いは、信じるに値する辞書をつくるため。
ことばへの疑いは、相手を信じるため。
これを見て、自分の姿勢が間違ってたなあと少し落ち込んだ。
これまでの私は、疑われることが、まるで自分の不出来を責められているように感じてた。
最初は、論文や発表、そのうち会話でも感じてるようになってた。
でも、それはとても視野の狭い捉え方だったんだなと。
疑うの先を考える必要があったんだ。
なぜ疑うのか。
それは、信頼に値する情報にするため。
あと、その人が言わんとしていることをより受け止めようとするためだったかもしれない。
行為の先にはいろんな目的があったはず。
それを自分で狭めてしまうのは失礼だし、もったいない。
自分はずいぶん失礼なことしてきてしまったな。
これからは「何のために」を忘れないで向き合いたい。
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