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読めない時に救われた本のこと

なにも入ってこない。

ここ数日、鬱が突然舞い戻ってきた。
頑張りすぎには気をつけてたのに、また無意識にギアをあげてしまっていたみたい。

鬱状態になると、全てが自分の内にこもってしまう。窓のない部屋に煙が立ち込めてるような感じ。
どんどんネガティブかつ自責思考になっていくし、外に出す気力もなくなる。面白いことに、それに合わせて身体もイカれはじめ、呼吸もうまくできなくなって冷や汗まででてくる。

こうなると何かしてないと落ち着かない、でも休まなきゃいけないのは分かってる、って状態になる。そうすると、ドラマや映画、本も厳しくてついSNSを見ちゃう。

そして心労。
笑えない。

Twitterはもう見たくない〜と思って、どうにか積読の中から掘り出した本が若松英輔さんの『本を読めなくなった人の読書論』だった。

正直、この本のある箇所にビビッときたとかではない。ほぼ頭に入ってこない状態だし。
でも、ぼーっと数行目を通したら、身体が自然と深呼吸してた。心にふっと風が吹いた気がした。

天井見上げて、あー私にとって本は救いだなぁと思った。

本の楽しみ方は、当たり前に人それぞれで、知識を得たり、ストーリーを追ったり、時には共感したり、いろんな面がある。
そして最近、文体もそのひとつかもしれないなぁと思うようになった。

文体というか、作者のことばが持つ雰囲気かな。それが本全体を覆っていて、そのことばの世界から読者は何かを得ることがある。
少なくとも、わたしは若松さんのことばから対面・SNSでは得られない癒しをもらうことができた。

そして、きっとこれは若松さんの本に限った話じゃないんだと思う。
意味がわからなくてもなんとなく読み通してみると、じんわり自分の中に雰囲気が入り込んでくる時がある。
こういうのだって「読書」だよねぇ。

 ある人は、とても大切なことを小さな声で語るかもしれません。何も言わないで、沈黙のなかから何かを感じ取ってほしい、そう言うかもしれないのです。

若松英輔『本を読めなくなった人のための読書論』
亜紀書房,2019

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