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楽になりたくない時

自分の心がどうしようもない時。

SNSで流れる投稿を見ると、こういう状態から早く良くなる方法とか、楽になる方法がたくさん流れてる。
noteでもたくさんの記事があって、本当に助けられてるなぁと思う。

でもたまに、そういう考え方を取り入れて楽になりたくない時がある。
しばらくこの苦しさを味わっておくか、みたいな。

こんなん自己満足でしかないから、理由なんて聞かれても「気分とちょっとの勘」としか言いようがないんだけど。

ただ、最近になって少し思ったことがあって。
ひどい話、わたしは、これまで自分が人を傷つけたことに対して本当に無頓着だった。
いや、そんなに傷つけようとしてきたわけでもないんだけどね。
でも、生きてれば必ず傷つけてしまう時があるじゃない。だからこそ、自分の加害性に気づけるか、そのことを自覚できているかってことが大事じゃないかと思ってて。
だから「無頓着」ってのは、1番よくない。

こんなことを考えるようになったのは、恥ずかしながら最近になってから。
ある時、親身に対応してくれた人にたいして、私は自責しているように見せて、その相手のことを揺さぶって傷つけた。卑怯だった。

この経験から、ああ自分の言葉は人を傷つける凶器にもなるのだ
自分のもつ加害性にようやく気づいた。

だからってわけじゃないけど、
わたしにとって自分の苦しさをじっと感じる時間を持つことは、自分が他人にも向けるかもしれないものと向き合うことでもあるんだよね。

こういうことをつい先日読んだ本に書いてあったので、それを添えておきます。

「教わるもんじゃなくて、体で覚えてくもんだよ、そんなの。ひとから叩かれたら痛い。だけど、同じことができる手のひらを、自分も持ってる。こういう気付きの繰り返しだろ」

町田そのこ『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』新潮社,2021

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