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壊れるということ。

こんにちは、りりーです。
今回は本当にずっと公開するか迷っていたものを書きます。


人生はマラソン

どこかで読んだ言葉で心に残っている言葉です。

短距離走じゃない。
長距離走なのだと。

早く走らなければいけない時どうするのか
ただ生きているだけで大変な社会だし
様々な運で進んでしまう、人生。

例えばもしも、ものすごく貧困家庭に生まれたら?

窃盗が当たり前の家庭も世の中にはある。
そこからどう脱却するのか。

勉強も環境が整っていない中で
全うすることはとても難しいものです。
学歴は努力+環境によって成り立つもの。

明日、屋根がある場所にいるかわからない。
今日の食べる物があるのかわからない。
そんな環境にいたら?

日本の話です。

限られた天才だけが多分抜け出せるのでしょう。
その天賦の才を持った人も、どこまで傷を抱えながら走り切れるのでしょうか。

難しい問題です。

普通に生きること。すら、難しい。
社会構造だけではなくって人間そのものの問題なのかもしれません。

だって天職に当たる人がどれだけいるでしょうか?
今の環境から抜け出すにも気力がいるし
自己責任論は好きじゃないけれど
福祉や社会が担えるものの少なさ
支援の難しさ

本人が走ることを諦めているのに、
支援することは難しい。

走る気力があっても余力がない社会で
受け入れられるケースの少なさも。

上手く生きるのは難しい。
責任感のある人から倒れていくこともあります。

やるせなさがあります。

だからこそ緩急つけられる人が、
最も強いのだと思います。

忘れてはいけないのは…
壊れた心身を治すのには困難な道のりがあり
長い長い忍耐力が要るのです。

だから、どうか、皆さまご自愛くださいね。

無理し過ぎたらダメなんだよ。
愛する人たちが倒れませんように。
走り過ぎちゃ、ダメだよ!

ここからは私のとても個人的なお話を書いていきます。

有料にしてごめんなさい。
センシティブな内容を不特定多数の人に
公開することはあまりよくないと思っているからです。

ゾーニングの意味も込めています。
なにか、傷付いたことを起草したり
二次被害が起こらないように。


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