不在の存在感にこそ価値がある
皆さんこんにちは、しまさです。
存在感と聞くとその人がいる時にだけ感じるものに思うかもしれませんが、いない時にも感じられるものでもあります。
いつも会議を進行してくれる人が休んだりすると、普段通り会議が回らず、その人を思い出したりしますよね。いない時にその人を思い出す場面というのは、案外多いのではないでしょうか?
そして、いる時よりもいない時の存在感の方が、より高い存在価値を示していると私は考えています。存在感の本質は不在時にあるいうことです。
存在とは逆の不在時が本質とは矛盾しているようにも聞こえますが、今回は私がそう考える理由をお話しします。
なくなって再認識する大切さ
普段は当たり前に存在する事の大切さというのは、それらがなくなって初めて気づくと思います。病気になると、健康がいかに大切かを再認識しますよね。
これは物だけでなく人に対しても同じです。冒頭に書いたように、その人がいなくなった途端、物事が上手く進まなくなることはあると思います。そして、その時はいない人の偉大さを思い知ることでしょう。
当たり前のように存在するすごさ
また、そういう人達のすごさとして、普段は当たり前のように存在していることがあります。すごいことをすごいと思わせないのです。
当たり前のことに人は驚きません。
けれど、その人たちがやっていることは、すごくない様に見えるだけで、実は驚くべきことであったりします。
最近だと、大谷翔平選手の2刀流の活躍が当たり前になりすぎて、私は何も驚かなくなってしまいました。彼ならそれくらいはやるよねと感じさせるだけの存在になってしまったのです。大谷選手、2度目のMVP受賞おめでとうございます。
そんな当たり前のようにすごいことをやっている人がいなくなった時、私達はその人の偉大さを再認識し、より大きな存在感を抱くのです。
誰かに必要とされている証拠
なくなって大切さを再認識するということは、それが本当に必要である証拠でもあります。必要でないならば、なくなったところで気にも留めませんよね。人に対してそれは、少し残酷かもしれませんが…。
必要な人がいなくなると困ります。当たり前にできていたことが、円滑に進まなくなりますから。
そんないなくて困る人は不在時にも存在感があり、誰かに必要とされている人でもあるのです。
心の中にずっと残っている
皆さんはもう会わないであろう人からの言葉で、心の中にずっと残っている言葉はありますか?
私は高校の古典の先生からもらった、こちらの言葉が残っています。
この忍先生の言葉は、私が理系で文系科目をないがしろにしていたこともあって、とても心に残っています。そして、今の自分の考え方にも生きています。ありがとう忍先生、あなたのことを忘れないよ。
学校の先生の様な恩師の言葉というのは、今後の人生で会う可能性が低いのにも関わらず、よく覚えている人も多いと思います。他だと、初恋の相手がそうだという人もいるかもしれません。
そんな自分の心の中でずっと生きている人というのは、偉大な不在の存在感を持った人と言えるのではないでしょうか。
「葬送のフリーレン」より
ちょうど今期放送されている「葬送のフリーレン」も、不在の存在感が多く描かれている作品だと思います。
あらすじを簡単に説明すると、1000年以上生きる魔法使いのフリーレンが勇者ヒンメル達との10年間の思い出を心に、新しい旅に出るというファンタジー作品です。
フリーレンはエルフという1000年以上生きる長寿な種族であるため、10年の旅というのは彼女の人生のほんの一部にすぎません。また、人間であるヒンメルはフリーレンよりも先に寿命で亡くなってしまいます。
しかし、たった10年の旅は彼女の人生に大きな影響を及ぼし、かつては非情であった性格には温かさが芽生え、フリーレンはヒンメルの死後も彼が怒ることはしないよう気を付けています。
それはフリーレンにとって、ヒンメルがとても大きい存在であることを表しています。たとえヒンメルの死後であってもです。
長寿であるフリーレンが主人公であるからこそ、ヒンメル達との回想シーンには感じるものがあります。とてもオススメの作品なので、まだな方はぜひご覧ください。
まとめ
普段は当たり前のように存在していても、実はすごいことをやっていたり、いなくなっては困る人というのは、不在時にも存在感を発揮します。
また、心の中にずっと残っている人というのは、あなたにとって大きな存在感になっている人です。
そんな不在の存在感を持つ人は、目の前にいる時だけ存在感を感じる人よりも、偉大であると言えるのではないでしょうか?
以上です。最後まで読んでくれてありがとうございました。