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誰かの地雷を踏んだとしても

地雷というのは踏んだ時ではなく、足を離した時に爆発するらしい。

愛の不時着の1話を観た方なら想像できる人もいるだろう。主人公であるリ・ジョンヒョクが「私は地雷の専門家だ」と言いながら地雷を踏んだあのシーンである。何度思い返しても笑ってしまう。

ネタの話はさておき、地雷は踏んだとしてもすぐには爆発しない。そのため、たとえ踏んだとしても、その後の対応でどうにでもなるということだ。実際にジョンヒョクも、部下の適切な処理により爆発せずに事なきを得た。

そして、相手が触れてほしくない話をうっかり口にしてしまうことも、「地雷を踏む」と表現される。私はこの表現も同様に、たとえ相手の地雷を踏んだとしても、その後の対応でどうにでもなるのではないかと思う。

踏んだ時にはまだ爆発しないので、本当に大事なのは踏んだ後ということだ。地雷の構造を教訓にするのも少し物騒だが、今回はそんなテーマでお話ししていく。


相手の地雷を踏んだ時

まずは相手の地雷を踏んだ時について考えていく。前提条件として、自分のうっかり発言で相手の地雷を踏んだとしても、すぐには爆発しない。たとえ踏んだとしても、猶予は残されているということだ。

では、どうすればその猶予で地雷を処理できるのだろうか?

踏んだことに気が付けるか

私は、自分が地雷を踏んだことに気が付けるのかが一番大事になると思う。なぜなら、踏んだことに気が付けなければ、足を離してしまい爆発してしまうからだ。

まずは相手の機嫌の変化から、自分が地雷を踏んでいることを認識する。次に、自分のどの発言が原因かを特定する。そして、その後は原因に関連する話はしない様に気を付けるのだ。

実際の地雷で考えても同じだ。次の様になる。

  1. 地雷を踏んだことに気が付く

  2. 地雷の種類を特定する

  3. 爆発しないよう適切に処理をする

リ・ジョンヒョクも同じように地雷を処理してもらっていた。結局、最初の地雷を踏んだことに気が付けるかが運命の分かれ道なのだ。

地雷は踏んでもすぐには爆発しない。そのため、たとえ誰かの地雷を踏んでも、それに気づいて適切に対応することが大事なのだと考える。

自分の地雷を踏まれた時

逆に、自分の地雷を踏まれることもあるだろう。その場合、その地雷を爆発させるかどうかの権限は自分にある。すぐに爆発させることも可能だし、反対にグッとこらえて何もなかったことにすることも可能だ。

気が短くキレ症な人ほど、猶予はなくすぐに爆発する。反対に、心優しい人は思うところはあっても、相手に猶予を与えるし、何もなかったかのように振る舞うことも多い。

きっと後者の人達は、そういった努力を踏まれた相手が気づいてもらえないことに、生きずらさを感じているのだろう。爆発させることが正しかと言われると、そういう訳ではないのだから。

なので、自分の地雷を踏まれたとしても、相手がそれに気付けるくらいのサインは送った方だ良いと言える。さもないと、相手は平気で足を離し、同じようにまた地雷を踏んでくる。これでは地雷の処理を、踏まれた自分に任されている状態だ。

誰だって爆発なんて好まない。だからこそ、地雷を踏んでいることを相手に気づいてもらうことも大事になると考える。結局、踏んだ時と同じように、最初に気づかせるかが大事なのである。

まとめ

地雷は踏んだ時ではなく、足を離した時に爆発する。そのため、たとえ踏んでしまったとしても、それに気が付ければ、適切な処理により助かる余地はあるのである。

反対に、自分の地雷を踏まれた時には爆発をこらえ、相手に地雷を踏んでいることに気が付かせないといけない。さもないと、踏まれた自分が爆発処理をするという、おかしな話になる。

誰も爆発なんて好まない。だからこそ、踏まれ踏んだ時には、お互いに適切に対応することが大事なのだと思う。なぜなら、地雷は踏んでも爆発するとは限らないのだから。

おわり


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