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ダンサーじゃなくても、多分、誰でも踊ってる

先週久しぶりにバレエを観た。
演目はパリ・オペラ座の「白鳥の湖」だ。
エトワールのオニール八菜さんの美しさを語り尽くしたいけれど、
変な気づきがあったので、粗末すぎる言い回しと言語で書いてみるとする。

女性の身体の柔らかさ、男性のダイナミックな動き、そして、
神(ルイ14世)に向かって常に美しいポーズをするバレエ。
女性と男性の身体をどうすればいきいきと美しく魅せることができるのか、考え尽くされている舞踊だと改めて感じた。
と、私が思ったのも、半年間でシルクドソレイユとある演劇作品を観て不確にも男性と女性の身体の差異にモヤモヤした体験をしたからだ。
どちらも素晴らしかったけれど、その作品では男性と女性がほぼ同じ振り付けでパフォーマンスを行う場面があった。その時にダイナミックでより重力がある動きができる男性の身体が羨ましく、
逆に男性に比べて小柄で軽い女性の身体に閉塞感を感じてしまったのである。私の主観に違いないが、同じ板の上で女性と男性で同じ動きをさせると、男性の動きの方がより人の目を惹きつけるのではないかと思う。
この時に私は、男性の身体をずるいと思い、女性の身体に限界に閉塞感を感じてしまったのである。
今回、バレエを観た時はそうしたモヤモヤを感じなかった。
何故ならクラシックバレエは女性と男性で振り付けや役割がきっちりと別れているから。(大学の頃にほんの少しだけかじっただけだけれど、クラッシックバレエの型に反抗して、様々なジャンルの舞踊が生まれたわけではあるけれど)
 勿論、クラシックバレエより、シルクドソレイユやその時の演劇作品の方が現代的な考え方でクリエーションされていると思う。しかし、私は新しい考え方のパフォーマンスに女性と男性の身体の差異を強く感じてしまったのである。

日常生活の中でも、こういう感覚を見つけることができるのではないだろうか。働き方や生活の中でただ、男女平等にするだけでは人間は幸せになれないということが最近分かってきているような風潮があるように。

男女で二分化するのではなく、個々のバラつきやグラデーションを忘れてはいけないけれど、女性、男性ならではの身体や感性の特徴は、確実に存在している。

 (ただ考え続けていると、複雑すぎて片足で「シェー」と言いながら、変なポーズを取りたくなってきた!!)
 今回は歴史のあるホールで、大道のバレエを観たわけだけれど、
もし、演目がバレエじゃなくて、ヒップホップ、ジャズ、ましては白塗りのBUTOUだったら・・・
場所は、野外劇場、飲食店のステージ、ただの広場だったら・・・
そして観客は、どんな人生を送ってきて、どんな性的思考で、どんな感性を持っているのだろうか・・・
目に見えない砂粒のような事実の掛け合わせで誰かの身体をどのように捉えるのかフラフラと変わっていくものだと思う。
 ただ一つだけ確信が持てるのは、私達の平凡な日常生活とダンスの世界は分断されてないということだ。


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