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子どもたちの変化を考える その6

2016年の中3は移転前の教室から移ってきた生徒が8人、そして移転した教室の市内から通う生徒が5人の構成だった。距離にして6㎞だが鉄道路線は異なる。その1、その2で働いていた2つの街の中間地点にあたる場所に教室を構えた。

移転先で入ってきた生徒たちには少し懐かしい雰囲気があった。私のような大人にあまり話しかけてこない。親にはそれなりに反抗的。まあそれでも「受験学年だからこの1年は勉強をするように腹を括るか」といった雰囲気があった。

一人の生徒が久しぶりに問題を起こしてくれた。「塾に行く」と言って何度か彼女とデートを決め込んでいたのだ。一度授業を終わった後に彼の家に行って、彼女と自転車の二人乗りをして帰ってくるの見つけ叱ったことがある。彼は最初はやや不満そうだったが、きっちり頭を下げた。初めて会う彼女も同様に頭を下げた。生徒のお母様も私に深く頭を下げた。「一緒に星を見て一緒に走って一緒にキャッチボールするのが楽しくなってサボりがちになりました」とのこと。確かにカバンの中にはランニングシューズやグローブがあった。二人とも学校のスポーツテストでトップクラスの男女とのことだった。それ以降は彼は塾を休まなくなった。

ちなみに彼は昨年の夏に塾に赤ちゃんを連れてきた。21歳のパパである。奥さんは中学の時とは違う人だったが、雰囲気はそっくりだった。「3人の団欒が何より楽しくて」と笑っていた。高校を出た後で工場で働きだしたらしい。お母様は四十代半ばで孫ができたことになる。一昔前なら普通のことだが、今では珍しいことなのかもしれない。

2017年世代は目立つ子が多かった。体育がやたら得意な活発な子たちが集まった学年だった。一人だけ宿題や課題も出さずにただただバスケの練習と筋トレに明け暮れている生徒がいた。内申も容赦なく1が付けられている。「宿題を済ませるまで塾から帰ることはできない」というルールでやっとやってくれるようになった。この生徒が課題をやらせるのに苦労した最後の生徒である。これ以降はどれだけ低学力でも課題の提出を怠る生徒はいなくなった。これは結構不思議な現象で、当時学校の教員をしている友人に聞いても「宿題未提出指導は昔より減ったよ。今の子たちは出すことはサボらない。中身は稚拙かもしれないけど言われたことは絶対にやるよね」と話していた。私も全く同じ印象を持っていた。

この頃の教育関連のトピックを2つ挙げておこう。三男一女を東京大学理科三類に合格させた佐藤ママが受験業界では注目されていた。彼女の取り組みは実に無駄がなく、子どもが勉強や入試と親和性が高い場合は間違いなく素晴らしい効果を挙げる支援をしていると言える。しかしそれは教育虐待とコインの表と裏。勉強だったりまたはそれを芸術分野に応用して模倣する場合に子どもの能力や意欲が欠けた場合には悲惨なケースに繋がりかねない。ちょうど私も長男が小学校に上がる直前くらいだったので興味を持って本を読んだりテレビを見ていたりしていたが、薬にも毒にもなるなという感想を持った。

結果として佐藤ママの提案は大きなウェーブとなって広がらなかったと捉えている。あまりに彼女の家庭は凄すぎて一般化できないからである。しかし一点彼女は大きな影響を残したと考える。それは「子の入試は親が関わってデザインするもの」という価値観だ。これを持つ親は10年代の後半に増加したように思う。

次に私立大学の定員厳格化がこの時期に進んだ。これはこの地域の公立高校の生徒にとっては相当厳しい政策だったように思う。首都圏や関西圏ほどでは無かったが、以前よりも一ランク、場合によっては二ランク下の偏差値帯になる大学にしか合格できなかった生徒が続出した。私立高校からの内部進学にはその影響がほとんど無かった為、青春を謳歌しながらも評価の高い上部の大学に進めた私立の高校生と、色々なものを犠牲にしながら受験勉強に臨んだにも拘わらず、社会的にあまり評価の高くない大学にしか進めなかった公立の高校生のコントラストが色濃く出た。この先に公立王国だった愛知県も私立人気が徐々に高まり公立高校の定員割れが激増する時代を迎えることになる。その素地はこの時期に築かれていたのだ。

2018年世代に話を進める。様々な切り口があるのだろうが、夏場の女子がすごく日焼けしていた最後の世代という取り上げ方ができる。テニス部の子が非常に多い年代で3つの中学のテニス部女子が通っていた。最後の夏に向けて真っ黒になっていった。19年世代以降は外の運動部であってもその度合いは穏和になっていった。

もう1点、興味深い出来事があった。秋の終わり頃に一部の男子生徒がかったるそうに相談してきた。合唱コンクールの話だった。「マジで女子がうざいんですよ。ちゃんと歌おう。キチンと合わせよう」こっちは一生懸命やってるのに、まだ足らないって煩いんです。

同じような悩みは私らの頃もあったし、2005年頃に教えていた生徒からもあった。2005年の時は実際に中学校に合唱コンクールを見に行った。確かに私に愚痴を言っていた男子のクラスの合唱は暗澹たるものだった。そして揉め事を聞いたことのないクラスと担任の統制が厳しいクラスは素晴らしいハーモニーを奏でていた。同じクラスの男子が「明日はボイコットしてやります」そんな捨て台詞を吐きながら帰った翌日の合唱コンクールを見に行った。その2人の男子のクラスになった。

驚いた。とても一生懸命歌っているからである。体を軽く動かしてリズムを取りながら指揮者が自分の方を向くと呼応して声に強弱を付ける。「めっちゃ一生懸命やっているじゃん」と思った。また何かと無気力な生徒の合唱も気になった。とても口が大きく開いている。また塾生ではないが「問題児だ」と呼ばれている子の挙動も気になった。普通に歌っている。私らの頃のヤンキーのように舞台の上のセットを蹴り上げたり、替え歌を大声で歌ったり、いきなりピアノの鍵盤をガチャガチャやったり等は決してない。「決められたことは嫌でもきっちりやる」という中学生の価値観がより明確になった。

「素晴らしいことなんだけどな。何だか功利的だな」
「皆がまあまあできるんだけど、とびぬける個が少ないかな」
そんな思いがこの頃の中学生にはあった。2016年から18年の中3生は総勢で29人。そのうちの23人が内申点28~31。そんな構成が私の思いをより強くしているのかもしれない。


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