見出し画像

運命論と失敗

自分がずっと縛られていたなと感じる運命論というか考え方がある。それは良い事が起こったあとは悪い事が起こるの法則である。自分はずっとこれに縛られていた。どんなに良い事が起きても結局悪い事が起きるなと思ってしまい素直に喜べない。別に悪い事が起きるのを未然に防ぐわけでもなく、悪い事が起こった時に「わーやっぱり起こったかー」と思う、そこに別になんの因果関係もない。こんなにも無意味な運命論に最近まで縛られていた。では何故こんなにも縛られていたのか、それは自分を正当化する何かが欲しかったからだ、この運命論にすがりまくるようになったのは中学校に入ってからだと思う。この頃の自分は失敗ばかりしており、とても嫌な思いをした。それは自分に対してとかではなくて周りの哀れみ、軽蔑の目線が嫌だった。そこで自分はこの運命論にすがり諸々の悪い事は自分のせいではなくて前に起こった良い事が関係しているから仕方ないという具合に自分の主体性を外にほっぽりだしてその運命論で生きていた。これは非常に楽だった、結局それにすがり続ければ悪い事が起きた時のストレスは軽減される、良い事が起きても「ああ悪い事起るな」と素直には喜べなかったけど楽だから良かった。これを続けていた大学受験生時代、この運命論は破綻する。良い事が起こらなくなった、悪い事しか起こらなくなった。受験には落ちるし、味方はいなくなる、毎日体調は優れないかったし、いなくなりたいと思った。ここで自分は自分が縋っていたものは無意味で悪い事が起るのは自分で動いて行動しなかった結果だと思った。それを何年も続けているんだからこんな終った状況になるったんだと絶望して泣いていた。ここでこの運命論とはお別れをして今は自分が動かないと何にもならないと思い自分から動いてる。今になって思うのは昔の自分が考えていた悪い事は「失敗」することだと思う、何かをしようと思って失敗すれば自分という者が丸々否定されたような感じがしていたんだと思う。実際はそんな事はなくこういった能動的失敗は何かに挑戦していたら絶対に起こる事象だと割り切るようにしている、別に能動的失敗はしても自分自身にはダメージはないし、むしろ学びが生まれる可能性だってあるとポジティブに考えている、とりあえずやってみようだ。こんな感じで自分が縋っていた運命論のお話をつらつらと書いて来たのだが、皆さんが信じているジンクスも聞かして頂きたい。自分のようなネガティブなものではなくても大丈夫だし、むしろ大歓迎だ。あと追記だが自分はまだこの運命論に縋っている節もある、本当どうしようもない悪い事に直面した時に絶対良い事あるというかなりポジティブな考えを使わしてもらっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?