私にとっての習慣(ランニング)とは
習慣とは…
日常の決まりきった行いのこと。長い間そうすることによって、そうすることがあたかもきまりのようになったこと。
Wikipedia より
ランニングが習慣になった今、習慣について私が思うことについて書きます。
やらないことに理由が必要なもの
まず私が考える習慣に関する第一の要件は…やらないことに理由がいるもの
習慣とはやることが当たり前のことで、私にとってのランニングとは朝起きて当たり前のようにやるものです。
例え二日酔いであろうと起きて走ることが当たり前で、やらない時とは、やらない客観的な理由があるときです。
やらない理由としては…
雨が降っている、雪が積もっているといった天候に関する理由
怪我をしているといった体調面の理由
大会の前日、当日といった状況による理由
です。
人によっては天気に関わらず走る方もいると思いますが、私がランニングをやらない理由のトップはこれです。
次は、怪我で物理的に走ってはいけないときです。
ただ、こんなときでもウォーキングなどの軽度の運動が許されるならやっています。
あとは、大会が近くて戦略的に休みをいれる場合です。
何にせよ、人によって違いはあるものの、気持ちなどの主観的なものによってブレずに、決まったルールで動ける(やめれる)状態だと思います。
そのため、何曜日は休養日だと決めて休むのはありだと思います。
始めた理由がわからない
私の場合、一番最初のランニングが何だったかは覚えていますが、それがなぜ続いている(習慣になった)のかの理由は明確ではありません。
おそらく健康が…といった理由なんだと思いますが、そんなことはやり続けているうちに気にならなった、忘れてしまったのでしょう。
そして、今さら何が理由かなんてものは全く気にならなくなっています。
強いて言うならば、やってみて自分にあっているものが習慣になるのでしょう。
人に話さない
最後には人に話さないことだと思います。
好きなこと、楽しいことは人に勧めたくなりますし、それが人から凄いと言われることなら自慢もしたくなります。
私も走り始めたときは頑張ってることを知ってほしくて人に話していました。
しかし、続けているうちに最近はそんなこともなくなり、聞かれない限り周囲に話題にすることはなくなりました。
※厳密に言うとnoteで書いたりすることで話題にしてはいますが(笑)
毎日、歯を磨いていることを話題にすることがないように、習慣とはイベントではなく日常になっているということでしょう。
終わりに
偉そうに書きましたが、文章がまとまっていませんが、最近、ふくい桜マラソンを走ることで人からなんで毎日練習できるのか?と聞かれることが多く、習慣について考えてみた結果です。
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