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失ったものを取り戻していく、旅の途中にて

小学校にあがったその日より、私は天才でした。

覚えていないのですが、入学式があって(そのときの私の正装写真は残っています)その後いちねんせいのきょうしつにあんないされて、たしか机のはじっこにしめいがシールで貼られていたと思います。ひらがなが読めない子があのときいたのかどうかわかりませんが、私は自分のなまえを読めました。(大けが治療で退院後、たぶん自宅療養中に「小学一年生」か「ようちえん」のふろくにあった次のれんしゅうセットで、祖父の書斎でおけいこしていた記憶があります) 入学式は母がいっしょでしたが、後日父兄参観のときに父が担任のごとうせんせいにこう言われたそうです。「入学初日に私が『あたまのなかにはなにがあるとおもう?』と生徒たちに謎かけしたら、お子さんが『はい、だいのう!』と答えてびっくりしました」

大脳なんてことば、どこで覚えたのかというと、病院で寝たきりだったときに理科まんがシリーズを枕の友としていて、そのなかに人体のしくみを語ったものがあって、おそらくそれで大脳(ルビ付き)のことを知ったのです。

そういうわけで初日から級友たちとは別ランクのおつむでした。

私の誕生日は12月にあります。小1のその日、おたんじょうかいが自宅で催されました。私と同じ誕生日の子がもうひとりいて、どちらに参加するかで級友たちが二分されました。私の方にたくさん来てくれたので内心得意でした。あまりよく覚えていませんがきっとそうだったと思います。

たんじょうびプレゼント、なんとほぼ全員がノートをくれました。「あたまがいいからこれがいいとおもって」だそうです。皆で相談したのか、各自がそう考えたのかわかりませんが、ノートをもらいました。おかげでしばらくのあいだ不自由しませんでした。私を溺愛していた祖父もご機嫌だったように思います。

ああ、こうやって書き綴りながら、私は今「ああばかばかしい」と呟いています。高校にあがった初日とその後数日のことを思い出したからです。これについては後日の機会に振り返るとして、小1のときの私は、誰からも一目置かれるてんさいでした。

むろんそれはまぼろしでした。大脳のなかに、この年齢の子に比べれば桁違いにたくさんの理科知識、よみかき能力ほかが、人工的に詰め込まれていたにすぎません。それらを本当に使いこなしていたのかというと、そんなわけないのです。

このことがやがて私を苦しめ、追い詰め、恥をかき、人格否定され、そして自我さえ失っていくことになるのでした。

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