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幼い頃に出会った、忘れられないおじいさん

幼い頃、私はいい大人に囲まれて育ちました。

特に印象に残っているのは、二人のおじいさん。

一人は、お米屋のおじいさん。
配達で私の家の近所を通るとき、バイクを止め、ポケットから氷砂糖を出し、子どもたちに配ってくれました。お米屋のおじいさんが話したことは何も覚えていません。どんな声だったかも思い出せません。でも、その顔、手、風貌は忘れられません。

氷砂糖は当時の自分や友人にとって、どうしても欲しいお菓子ではありませんでした。でも、おじいさんがくると駆け寄らずにはいられなかったのです。

もう一人は、私の祖父。
同居していました。

両親が多忙だったこともあり、いつも祖父と一緒でした。幼い頃、祖父の足の裏に乗って、飛行機ごっこをした愉快さは、今も忘れられません。

祖父は大工で、作業中、電気のこぎりで指を落としていました。それも一度ではなく二度です。ですから二本の指がありませんでした。
今思えば、手先が勝負の仕事なのに、仕事は続けていました。

私が将棋を覚えたときは、その相手をよくしてくれました。おかしなことに私は祖父にいつも勝っていました。孫のために、わざと負けてくれていたんですね。

仕事をリタイアした後は、絵を描いていました。水彩です。私が大学に合格し、始めて一人暮らしをした時、私は祖父の絵を二枚もらいました。部屋に飾りたかったからです。額縁を買う、という発想もなく、色画用紙で手作りの表装をして、画鋲で貼っていました。近所の公園の噴水を描いたものでした。今はその噴水もありません。祖父も他界しました。

しかし、幼い頃、自分を受け入れてくれた人の思い出は、53歳になった今でも色あせません。

子供の頃、それなりのつらい出来事もありましたが、心ある大人たちが防波堤となり、心が守られ、今があります。その年代に自分がなってみて、しみじみと思い出しつつ、自分が幼い者たちになにをなすべきかも思索しています。

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