【雑記】Insta映えとして食べ物を撮影する人の話
それでは
駄文と前置き
『食べるのが先か、情報発信が先か…』
私の私見を申し上げます
「いやーこれ美味しいなー!Xに載せるか!!」って思うのって食べてからじゃない?
これはSNS全盛期(いやもう爛熟期?)の世間に一石を投じてみたいというわけではなくてですね
私はラーメンでもコンビニスイーツでも何でも、注文して一口食べた後に「これおいしいな!シェアしたいな!!」と思うタイプなのですが、当然もう食べかけのそれになっているんですよね、食べてるから
なのでまず前提として、定期的にTwitteXやInstagramに画像込みで食事を挙げている人の目的意識、情報発信力をとても凄いものであると思っています
そんな中、美味しそうなものがあると口に運んでしまうというこの事象を改善する為に対策を考えましたという駄文です
①とりあえず毎回撮影する
まあこれしか無いよねとは思います
食事の際の習慣として体と意識に馴染ませる、筋トレと同じですね
筋トレからの連想ですが日々の体調管理や食生活チェックにも転用出来るかもしれません
写真は嘘をつかない、私達の内臓脂肪を映し出す鏡となります(戒め)
②食べる用と撮影用で2つ購入する
コンビニスイーツとかならイケると思うのがこの方式、1回目の味わいとまた違った発見が得られる可能性もありますし、美味しいものなら2日連続でも問題ないでしょう
③数日後、改めて撮影の為に購入する
まあこれだよねパート2
でも一期一会の趣きを大切にする人には「あの日あの時あの場所でこの食べ物に会えなかったら…」みたいな小田和正調の意識が働きそうでなんかモヤモヤする方法ですね
④友人と一緒に注文、購入する
レストランなら仲間と行った時に
楽しい思い出とともに撮影する事が出来ますね、お互いの記憶にも残るという素敵な相乗効果もあり良いタイミングだと思います
ただ私は率先して食べてると思うのでダメだな
あとはネットリテラシー的な肖像権とか色々は各々クリアしてから貼りましょう
⑤食べ終わった空っぽの器を挙げる
「美味しかった!!」の説得力は最大値だと思いますが見た人の心が空っぽになる
あとがき
しばえびのふざけ癖が始まったので終わりますが
SNSへの投稿は承認欲求の現れ、と言う風潮もあるのが最近の世の中、顔も知らない人とも感情を共有する事が出来る境遇で伝えやすい話題として「食事」は最適だと思います
この承認欲求の感覚が過ぎるようになると
「より良い写真を挙げなくては!」
「この写真は大したことの無いかも…」という周りに左右されて制限されてしまったりしますね
でも実際のところ「美味しい食べ物の写真をシェアしたい!」という幸せのお裾分けとしての側面が根底にあるのかな、と思います
食べ物のある風景の画像は、よきもの!!
まとまりがない駄文でお目汚し失礼しました(これも周りを気にしすぎ、か?)
おやすみ
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