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 シンクロニシティだらけの遊び場で


シンクロニシティー
ユングが提唱した 「意味のある偶然の一致」という概念


わたしの日常では そのシンクロニシティとやらが やたらと現れる
その度に えーっ という悲鳴のような 歓喜のような咆哮を心のなかで
繰り返しては この世界の不思議や必然であるとか怖れであるとかを考えてしまう



去年の今頃
道志村で骨が発見された
そのニュースにわたしは囚われてしまった

だって骨が見つかったのだ
行方不明のになった少女を探すため 警察やボランティア その他大勢の人が
繰り返し 繰り返し 何度も捜索したはずの その場所で


毎晩 毎晩 そのニュースの行方を追った
元刑事の解説する長い時は5時間に及ぶ YouTubeのLiveも聞いた
事件派 事故派 様々な考察や罵り合い
真相は未だに分からない

道志村 つい その言葉を検索しては
骨について思い巡らしてしまう そうして 一日の時間をついやしていた


ある日 このままではいけない
本を読もう 小説でもエッセーでも歌集でもいい

以前のように 親しんでいた本を読む日常を取り戻すのだ
そう決心した わたしは 何気なく小さなチェストの上に並んでいた文庫から
一冊を手に取って読み始めた


江國香織の『ウエハースの椅子』である
三十八歳の主人公の恋と記憶と絶望のおはなし


ハルキ文庫のそれを読みすすめる
と、唐突にその言葉が わたしを慄かせた

「道志村には、、、」

えーっ 道志村 紛れもなくその文字が見える 122頁目
物語の中頃である

「道志村には、まだいったことがなかったよね」
ドウシ村、と恋人は言った。 私には、それがどこにあるのかさえ見当がつかない。

「星がね、すばらしくよくみえるんだ」


*** ***

いったい 日本にどれだけの村が存在しているんだ
道志村、である

いったい、宇宙にはどれだけの星が存在しているんだ

怖しい 怖しさと同時に 考えすぎて愉快になってくる
ますます わたしの頭はイカれてしまったようだ


『バックマン家の人々』という映画が好きだ ダメな大人たちが沢山出てくる
1989年のアメリカ映画で すこぶる可愛いおばあちゃんが出てきて
遊園地の話をする

up and down up and down
怖くてスリルに満ちた ローラーコースターの方が ただまわっているメリーゴーランドより楽しい

そんなことを おばあちゃんは嬉しそうに話す

わたしはどうだ
ローラーコースターもメリーゴーランドも両方とも好きだ

しあわせってなんだ?

たまちゃんと呼ばれるアザラシがいて アザラシはたまちゃんと呼ばれることに
喜びを感じる
それが相思相愛ってやつだ

セックスレスが不幸なんじゃない
どちらかがそれを望んでいるのに どちらかが それを拒絶している
世界のややこしさとは だいたいがそういうあれこれなんじゃないか



遊園地が好きだ
きみはどうだろう


ここは 遊園地ほどスケールの大きくはない
砂場と風に揺れるブランコのある遊び場だ

わたしは そんなふうに想ってみたりする

ただ 風の揺れるブランコを そっと眺めて
風の音を聴くきみがいる

雨水に朽ちて錆びてゆく幾つかの玩具が
きみの訪れを待っている


ブランコはうれしそうに揺れる 


洗いたてのシャツみたいな顔で初夏がはじまろうとしている


(道志村の話はどうした?)


もしかして きみは頭を抱えて去って行く 
それはそれで幸福なお伽話なのかも知れない



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