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父への思い

父はアスベストによる中皮腫という肺がんで
10年ほど前にこの世を去った

アスベストは体に入ってから20~30年を経て突然
時限爆弾のように秒読みを開始するのだという

昭和の中頃はアスベストの危険性が
まだよく知られておらず
断熱材などに推奨され日本中で使われていた
今も古い建物の取り壊し時には
健康問題が懸念される

父は労災だったけれど父方の血筋は
癌でこの世を去っている人が多い
なので私もそういう体質を
引き継いでいるのだと思う

因みに母方はというと血圧に問題のある人が多く
脳や心臓の病気を患っている人が多い
私の妹はこちらの系統を引き継いでしまったようだ

どっちに転んでも姉妹そろって最悪である
※私は妹と二人姉妹

話を戻して父の事
父は若い頃に両親を亡くし、お姉さんが親代わり
高校卒業後に陸上自衛隊に入って自立
元々のまじめな性格と自衛隊での
厳しい生活もあってか
忍耐強く親切で頼りがいのある人だった

後年は年齢なりの容姿であったが
若い頃の父は娘の私が言うのもなんだけれど
それはそれはいい男だった 笑
例えるなら俳優の伊藤英明さんのような
加えて「気は優しくて力持ち」

妹曰く
「父親がいい男過ぎて私達って
 きっとどんな人と結婚してもダメだと思う」
確かに一理ある。。。
だって私達姉妹そろって離婚経験者だもの 苦笑

両親には多大なる迷惑と
心配をかけてしまったけれど
出産・育児その他諸々結婚生活での
経験値は私の大きな財産となっている

昔から
不登校・社会不適応・問題児・引きこもり・離婚etc.
両親に迷惑かけっぱなしだった私の事でさえ
見捨てることなく子どもを育て上げ
家族の生活を支え、家を購入して
定年まで勤め上げた父

今、この歳になって改めて父の偉大さを思う
本当に感謝しかない

晩年、父が緩和病棟に入った時
母は心臓弁膜症の手術をして間もない頃で
父の看病に全振りする体力がなかった

その為、会社に事情を話して長期休暇を取り
私が泊まり込みで看病させてもらった
無理な願いを聞き入れてくれた会社に感謝した

育ててもらった恩を返すには全然足りず
ましてや今までの親不孝を埋め合わせるには
全くもって遅すぎたのだけれど
それぐらいしか出来ることがなかった

病床の父が母のいない時、私に
「もう少し…せめて80歳まで生きたかったなぁ」
とポツリと言った

私は何の根拠もなかったけれど
「大丈夫、肉体を脱ぐだけだよ
 魂は存在するし先に向こうに渡った
 懐かしいご両親や兄姉にきっと会えるよ
 フィールドが変わるだけだから怖くないよ」
と、とんちんかんな返しをした

「そうかもしれんが、お前たちと話したり
 触れたりできなくなるのはさみしい」

また父は私に向かって言った
「お前はいい娘だ 俺には分かる
 化粧をしていない素顔の方が
 お前の良さがよく見える」

私は父の意識がなくなる前にと
羞恥心をかなぐり捨てて

・お父さんの娘に生まれて幸せだった事
・たくさん心配をかけて申し訳なかった事
・私が命を終えた時には迎えに来て欲しい事

等々その時心の中に浮かんできた事を全部伝えた

それから何日かして父の身体は機能を止めた
穏やかで安らかな去り方だった

タバコは吸わず、ギャンブルもせず
お酒は程々、忍耐強く家族思いで働き者
サークル仲間からも慕われ
幾つになってもユーモアがあって新しい物好き
子ども心を忘れないチャーミングな人だった

そんな父がどうしてあんな病気で
最後を迎えなければならなかったのか
それは父が生まれてくる前に神様と相談して
自分で計画してきた筋書き
だったのかもしれないけれど

私は未だに父ほどできた人間に
出会ったことがない…というか
きっと父が稀有な人間性だったのだ
(子供たちに裏を見せなかっただけかも)

ともあれ、父の娘に生まれたことは私の誇り

私自身は生まれる前にどんな筋書きを
立ててきたのかは覚えていない
あとどれくらいこの世に生きる時間を
与えられているのかも分からない

父のような人間にはなれないけれど
次の瞬間何が起きても後悔の無いよう
できるだけ世の中や周囲の人達を思いやり
丁寧に日々を送っていこうと思っている

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