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秋、深し(SFショートショート)

 あらすじ
 秋を満喫する家族。だが実は……。


 目に映る木々の葉は紅や黄色等、色とりどりに染めあがり、観る者の目を楽しませる。
 一緒に連れてきた5歳の娘の千秋(ちあき)も、満面に笑みを浮かべて喜んでいた。まるで子犬のように、落ち葉に彩られた森の中を駆けまわっている。
 せっかくなので、周囲の落ち葉を集めてのたき火もしてみた。
 特にたき火は昔と違って今では禁止されているから、娘も珍しくてしょうがないようだ。
 燃えている炎が怖いらしく、おかなびっくりの表情で遠くから、千秋が見ている。
 その火で畑で掘ってきた芋を焼いて食べたら、口の中にほんわかとしたジューシーな甘味と、サクサクとした歯ごたえが広がり、ほっぺが落ちてしまいそうだ。
 普段はレンジで加熱した物を食べてるけど、やはりたき火で焼いたのは、一味違う。
 妻が少しちぎって、娘の口にかじらせた。その芋を、千秋もとても美味しそうに食べている。
 見あげれば梢には、リスの姿も見え隠れした。
 ちょこまかと木の枝を歩いてみたり、クルミをかじってみたりして、可愛らしい事このうえない。
「あれ、見て。かわいい。リスだよ、リス」
 娘が喜ぶのも無理はない。ホロテレビの画像でしか観た経験のない生き物を、初めて間近に観察したのだ。
「連れてきてよかったね」
 妻が感想を述べた。彼女も楽しそうである。私も、こんな間近でリスを目の当たりにするのは初めてだ。
 周囲をぐるりと見渡せば、紅葉に色づいた山なみがどこまでも続いており、空は青く澄み渡っている。
 私は焚き火のそばにいる妻子から少し離れて、バッグに入れてきたカンバスを取りだした。そしてクレヨン。  
 下手な絵を描くのが、唯一の趣味なのだ。
 まぶしい景色を眺めながら、私はまっさらなカンバスに、いくつもの色を加えていった。
 白い雲、灼熱を忘れた太陽、地面を黄色くしきつめるイチョウの葉っぱ。
 イガが割れ、旨そうな中身が露出した茶色い栗の実。
 心地よい音をたてながらはぜる炎。頬を風船のようにふくらませ、秋の味覚を一心にかじるリス。
 首筋をなでる、涼しい風。こないだまでの夏を忘れるそよ風だ。山を、木々を、赤や黄色に染めあげる紅葉たち。
 かつてはこんな光景が、日本中どこにでもあったのだろう。今はここに来なければ、味わえないが……。
 踏みしめる落ち葉の隙間にドングリが転がっている。靴で潰されたドングリに、スズメが群がってついばんでいた。 
 イチョウの下にはギンナンがちらばっており、妻が手にしたビニール袋に、それを集めて入れている。
「ママ、それ臭い」
 娘が妻に駆けよると、ギンナンのにおいに鼻をつまんだ。
「このお豆さん、ギンナンって言うのよ。茶碗蒸しに入れると美味しいの」
 娘はちょっと引いていた。無理もない。5歳の娘に食べた事のない茶碗蒸しの味は想像つかないだろう。
  食べたとしても、千秋が美味しいと感じるかどうか……。私や唯が子供の頃とは違うのだ。
 ちょうどその時、私の視線をさえぎるように赤トンボが飛んできた。この虫を見たのも本当に久しぶりの話である。
 都会では、まず見かけない。ヤゴが育つような清流がないのだからしかたないけど。
 確かに都市は便利である。車や電車でどこへでも行けるし、夏はクーラー、冬は暖房が効いているので、快適に過ごせるし。
 だが森林を伐採し、山を削り、地平線まであらかた地面をみっちり舗装し、天まで届きそうな高層ビルを建てたため、失った物も少なくない。
 地球の温暖化が進み、気候変動が激化していた。
   南洋の小島は海中に水没し、台風やハリケーンの数が増え、その規模が大きくなり、世界中のあちらこちらに甚大な被害をもたらしたのだ。
 日本ではまるで、熱帯地方のようなゲリラ豪雨が荒れくるった。アジアやアフリカの経済成長が進んだため、自動車の保有台数が一気に増え、二酸化炭素の量が増えた。
 一方でそれを吸収する森林は次々と伐採されたので、ますますCO2は増えたのだ。
 存分に秋を堪能した私は、まだここにいたいと嫌がる娘の手をひっぱりながら、妻と一緒にその場所を後にした。
  私達が向かったのは、大きなイチョウの木の下だ。その幹にドアがあり、近づくとそれは自動で左右に開いた。
  そこをくぐると、人口の通路に出る。
 通路の天井には人工の灯りを放つLEDが連なっていた。
  ふと後ろを見ると、オータム・パークと通路をつなぐ自動ドアが、閉まりはじめたところである。私は妻や娘と連れだち、建物の出口に向かった。
「ありがとうございます。オータム・パークにまたお越しくださいませ」
 出口のゲートを通る時、本物の女性そっくりに作られたヒューマノイドのスタッフが笑顔で一礼した。
「ママ、寒い」
 娘がぼやくのも無理はない。外に出た瞬間、ナイフのような北風が、首筋を震えあがらせた。こないだまで夏だったのに、九月の東京は、すでに冬なのだ。
 かつては温暖湿潤気候だったはずなのに、今では人工の砂漠とも呼べる都市化が進み、夏と冬、昼と夜の気温差が激しくなった。
 いつのまにか秋と春がなくなったのが、22世紀の今日である。
 もはや四季は死語になり、今の日本には夏と冬の二季しかない。
   秋は人工的に作られたオータム・パークで楽しむような、過去の物になったのだ。


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