心が壊れる5秒前
27歳の秋。助産師になるために学校に行き、実習を受けていた。
実習期間は3ヶ月。その3ヶ月で正常分娩10例分娩介助させてもらい
そして、継続妊婦さん(産前から産後までの継続ケア)や母親学級、外来など
助産師の学ぶべき事をギュッと凝縮したような3ヶ月だった。
私が配属された病院は島根県浜田市。
後に、私が就職した病院での実習。
11月に新病院へ移転するため、バタバタしていたので、私は9月10月の2ヶ月で
正常分娩を10例取らせてもらう!!と自分の中で決めていた。
準夜勤の助産師と妊婦さんがOKしてくれたら、実習時間を伸ばして、
お産を取らせてもらえた。だから、夜中でも何時でも自分次第でお産を受け持たせてもらえる環境だった。基本的に担当の助産師が妊婦さんに学生にお産取り上げさせてもらって良いか?を確認するのだけれど、入院の迎えから確認まで
自分で行っておいで!!と良い意味で放任だったので、
アポから全て自由にさせて貰えた。
そんなこんなで、他学生は中々、お産に当たらない!と言っていたが、私はその病院に一人しか配属させていなかったので、優しい助産師さん達のサポートもあり、9月10月で実習ノルマの10例の赤ちゃんを取り上げさせて貰った。
ほぼ、実習内容は終了していた。
11月は案の定、病棟移転で大忙し。テンヤワンヤしていた。
病院移転に伴って、病院宿舎を借りていた私は、病院近くのホテルに1ヶ月滞在することになった。
そこで、事件は発生する。
すぐそばにある大学の女子大生が酷い状態で殺害され、発見された。
体も一部のみしか発見されなかったと記事にはあった。
静かな田舎町の残虐な猟奇的事件。マスコミや機動隊員が小さな街に詰め寄せた。
ワイドショーも当時は独占したニュース報道だった。
私の宿泊していたホテルにも機動隊員が宿泊し、私は怖さと寂しさとで
息が苦しくなった。早く、犯人が捕まって欲しい。
そして、一部しか出てきていない大学生の体や服など見つかって欲しい。
外に出ると、全員が怪しい人物に見えるし、恐ろしくなってきた。
怖い。外に出るのが怖い。そんな気持ちで毎日病院に通っていた。
実習は終わっているので、移転のための書類整理など私の仕事ではないが、
手伝っていた。毎日、日勤をしているようなものなので、病棟の看護師や助産師に
物の在処を聞かれるような存在になっていた。メンタルも弱り、毎日の日勤、片付け作業で疲れている時に第二の事件が起きた。
一人の医者にちょっと来て!と内診室に連れて行かれた。
そこでは中期死産の方の出産が行われていた。
助産師の姿はなく、医者が一人。
外来からの患者だったので病棟助産師も把握していなかった。
ただ、私は証人者として呼ばれたのだった。
生まれたばかりの中期の赤ちゃん。泣くこともない。
時間を見て!と時間の確認、声出し。
そして、処置が淡々と進む。言われたことを淡々とこなす。
とりあえず、部屋に入った時点でナースコールを押しているが、
引っ越したばかりの病院はバタバタしており、誰も来なかった。
いつかはこういった場面に出くわすだろう・・・と思っていたが、
心の準備もないまま、対面した中期死産の赤ちゃんとお母さん。
学生である私は何もできなかった。
医師に言われるままに使われて、悔しくて涙が流れていた。
全てが終わった時に、当時の副師長に
「学生の分際で何勝手な事してるの!!人を呼びなさいよ!!!」と怒鳴られた。「呼んでも誰も来なかったじゃないですか!!」と怒鳴り返す私。
鳴っていたはずのPHSは病院移転のためなのか、新しく設定されていなかったからなのか、内診室からのコールは違う表示が出ており、誰も内診室に辿り着けなかった現状があったことが後から分かった。
病棟の助産師達は私に同情し、医師に非難の声が上がった。
その医師とは犬猿の中で勤務し始めてもその状態は私が辞めるまで
3年間続いた。
なんなら、女子大生が殺害されたとする日は、私はその医師と分娩介助にあたっていた。夜遅くなら、犯行できるんじゃないか?とその医者を疑っていた。
それは、中期死産で私に声をかけたから、そう思うのではなく、
その医者の素行から疑うようになっていった。
それでも、犯人が捕まるわけでもなく、事件が解決するわけでもなく、
私が中期死産の現場で何もできなかった事にも変わりなく
就職先もすでに決めていて、そこから逃げ出すわけにも行かなくて
学生はただ一人だし、誰にも相談できなくて
私の顔からは笑顔も消え、ただ無表情で日々、実習に行っていた。
怒鳴った副師長とは別の副師長が
「ちょっと休んだら?お産終わってるし。」
と言ってくれて、私は実習を休む事にした。
地元の友達が学校にある出雲に遊びに来てくれたり、
医師の友達に話を聞いてもらったり、とりあえず、
今の気持ちを出す作業に徹した。
何かをきっかけに心の霧が晴れた訳ではなく、時間と共にやることに
追われ出したから、少しずつ心が壊れずに壊れかけたままの状態でも
前に向かって進むしかない現状と、国家試験が待っていたので
心のケアに構ってられないという状況で、切り替えていったというのが
あるかもしれない。島根の海と山と自然で癒されていった事実もある。
勝手に犯人を医師だと思い込みながら勤め出していた2年後、私は
警察から呼び出された。他県ナンバーの車で出雲と浜田を何度も実習期間
行き来しており、事件当初の防犯カメラから割り出されたらしい。
母の所に連絡が行き、娘が使っている車だと伝えたが、
母は本当に刑事かどうか疑い、娘の住所は教えられない!!
娘が警察に行きます!!
と私が警察署の取調室に行くことになった。
まず、事件の当日何をしていたか?
誰か証明できる人はいるか?
事件に遭った彼女のことを知っているか?
あなたは何をしてきたか?
私が犯人として疑われている内容だった。
素直に供述して、こんなにも詳しく事件当日のメモを残している人がいるのか?
というくらい、話をして(実習中なのでメモが残っていた)
医者は疑ったのか?を刑事に確認した。
「もう、調べ尽くしているんですよ。」
と既に疑ったと言っていた。
もっと、調べてください!!
と自分も疑われているのに、
とりあえず、怪しいと思っている医者を売っておいた。
それから、何年も経過してから、事件の犯人が分かった。
既に交通事故で亡くなっていたらしい。
そんな話があるか????
と思うけど、事実、母親と乗っていた車で事故を起こし、母親と共に
亡くなっていた。
心は脆く、過度のストレスを感じたら壊れていく。
それが、環境によるものだったり、体の変化によるものだったり、眠れない状況であったり、大きく分けて、精神的、肉体的、社会的ストレスだ。
この事件が重なった以上にストレスを感じたことはないけれど、
そうならないように、どん底から這い上がっていくのも、かなりの労力を使うので
心が壊れそうになる前に対処方法を知っておく必要がある。
自分自身が何をした時にストレスを感じやすく、
どう対処すると休まるのか?を知っておく。
突然、色々な事件に巻き込まれる可能性はゼロではないので
まずは、自分を知ることから。
心が壊れる5秒前よりももっと前に
自分を守って生きていきたい。
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