科学の世界と芸術の世界〜何故科学者は芸術を愛するのか?

科学、特に化学を突き詰めてやると、
必ず突き当たるものがあります。

それが、この宇宙、自然界を司る様々な法則

化学平衡の法則  だとか
ルシャトリエの原理 とか

最近のものでは、
1981年に福井謙一先生がノーベル化学賞を受賞された
フロンティア軌道理論 など

それらの法則は、
自然界の物質を司る仕組みとして
元々から自然界にあったもので、
人間が生み出したものではない。

宗教的に言えば、それらは「神の領域」に存在します。

科学を通して人間は、
それらを見つけることは出来ても、
法則を変えることは出来ず、
それらの法則の支配下でしか
何かを作ったり生み出すことはできないのです。

例えば、
発電機の発明というのがありますが、
人間が無から電気そのものを生み出したわけではない。

元々、自然界にあった現象を司る「電磁誘導の法則」を見つけて
元々自然界にある電気を効率よく発生する装置を作っただけです。

自然界の法則は、人間の法よりも遥かに厳格で、
もっと電気が必要になったから。と
装置を大型化して発電量を増やすことは出来ても、

電気の発生量を増やせるように
根本的な電磁誘導の法則そのものを変えることは
人間には決して出来ません。

このように、
神ともいえる、それぞれの自然界の法則が
許すものなら作ったり合成も出来ますが、

自然界の法則が全く許さないものは、
産みも合成も、全く作ることが出来ない。

神の手の上でしか、物事を成せない。

それが化学を含めた科学の本質です。

科学を突き詰めてやるには、
白黒はっきりさせる一神教の欧米圏の方がやりやすい。
ということを仰る方がおられて
それは一面では事実。と僕も思います。

が、戦後の科学技術の発展の歴史や
ノーベル化学賞や物理学賞の日本人受賞者の功績
それらを見てますと、

日本人のような多神教の文化圏の人間だと、
自然界にある様々な法則ひとつひとつを神ととらえて、

天照大神が隠れたら、出て来〜い!と
岩戸の前で裸踊りした奴や神様が沢山いたみたいに😅

神話の世界で八百万の神が協力するように、
自然界のそれぞれの法則を組み合わせたりして、

欧米圏の発想に無いものを発明したり生み出せたのは
多神教文化圏の日本人が科学を突き詰めた
ならではの結果だと僕は思います。

特に化学は多神教文化と相性が良いと思います。



そのような科学分野で突き詰めてやってきた人が、
芸術を愛でたり、自ら芸術創作を始めたりすることが結構あります。

これは、僕も含めてそうなので、
以下は僕の主観もありますが、一つの考えです。

科学は、様々な自然界の法則という神の手の上でしか成せない。
現象を司る法則から離れては、物質ひとつ自由には作れない。

そういう不自由さを、
突き詰めた科学者や科学研究者ほど感じるんですよね。

その点、芸術の世界は、
自然界を司る神がいない世界です。

自然界や現実世界ではあり得ないものも
自分の思い描いたとおりに創作しても良く、
科学のように神による制限は受けない世界といえます。

エッシャーの滝


他人に受ける受けないなど、
時代の価値観を別とすれば、
自分の手を縛る者は自分以外にはいません。

神に縛られた科学の世界で少し疲れたら
神のいない自由な芸術の世界に浸ってリフレッシュしよう‼️
それが、科学を突き詰めた人が芸術にハマる理由のひとつと思います😊

厳格な神の手の上でしか生み出せない世界と、
神がいない自分だけの想像で自由に描ける世界。

この二つの世界を行ったり来たりしてると
リフレッシュも出来、相互に刺激になることもあるので、
全く異なる世界ですけども、補完的であっても
決して対立させるべきものでは無いのです😊

下画像は、拙作の国鉄八木駅旧駅舎

国鉄八木駅 表玄関
国鉄八木駅 ホーム側


実物の駅舎は老朽化や耐震性、スペースという
物質世界の自然界の各物理法則(神)の制約にて
保存出来ませんでしたが、

それらの制約を受けない芸術分野のミニチュアアートであれば、
当時の姿の心象風景は保存出来ました😊✨

国鉄八木駅 待合室内部

自然界の様々な法則という神のいる世界の科学と、
自分の心に描いた通りになる芸術の世界。

どちらも楽しんでみませんか?😄✨✨

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