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家族について考察してみる

はじめに

人々は何千年にも渡ってパートナーを見つけては子孫を作り
様々な家庭を形成してきたことと思う。
時代や情勢によって多種多様な家族がおり、
「この家族は○○である」と断言するのは非常に難しい。
昨今では離婚する家族も多く、不変ではなく、変化しながら存在している
概念、言葉と言える。
これらを考察することで新たな知見や視野を拡大できるのでは?
そう思い、ここで考察をしてみる。

そもそも家族とは何か

言葉の意味では、戸籍上の関係性であったり、
精神的な深い繋がり、遺伝子的な繋がり等々
様々な関係性から成り立つ一種の集合体であることは明白である。
いくつかの要素から成り立つ集合体であるものの
ケースに応じては同じ要素を持っていても家族と呼ばないような
関係性もあり、明確な定義は難しいというのが現状である。
では「家族」と呼ばれる存在、概念は一体何を指しているのだろうか?
いくつか構成要素を考えていく。

思い

私達には尊敬している人や明確に愛していると言える者など
何らかしら強い思いを抱く対象がいる事だろう。
人によっては架空の存在に対して愛情を抱く者がいたり、
建物などの無機物に対してそういった感情を抱くものもいる。
それらを「家族」と呼べるのかどうかはここでは論じない。
しかしながら、私達が一般的に「家族」と呼称する存在には
強い思いが何かしら存在しているのでは無いだろうか?
それは嫌悪などの自身にとって不快な思いを感じるものも
含まれており、心底嫌いな人間であっても「家族」と呼べる場合が
あるのでは無いだろうか?
嫌悪する相手がこの世を去り、その事実を認識した時に
初めて、「家族」と呼べる相手であったことを自覚することも
あるかもしれない。
様々なケースがあるが「家族」を形成するにあたって前提条件として
何らかの強い思いがそこに存在することが第一歩であると言える。

関係性

「家族」を構成する要素として非常に重要なものとして関係性が非常に密接に関わってくると考えられる。前項の「思い」から双方に信頼関係が形成されていることが何より重要になってくる。
ただし、信頼がうまく形成できていない家庭においても「家族」と呼称できる場合がある。それは遺伝的な要素や戸籍上の関係性などいくつもの
細かい要素があるからである。
しかし、昨今の離婚事情等を考慮すると信頼関係がうまく形成されていない家庭においては、残念ながら「家族」の崩壊に繋がる場合があるといえる。
また、例えばであるが暴力団もといヤクザなどの組織内にて親子関係が
擬似的に形成されることもあり、これらもある種「家族」と呼ばれる。
その点からも、複数の要素が無くとも、「思い」や信頼関係等があれば
「家族」と呼称することも問題ないのかもしれない。

家族の大切さ

様々な「家族」と呼ばれる関係性があり、そこには様々な「思い」が介在することが見えてきたが、「家族」が崩壊するケースも残念ながら存在している。これには個々人が様々な要素を持っており、それらが集まった集団(家族)である以上、仕方がないイベントではある。
しかしながら私達は「家族」を形成する者が多数いる。
それは何故なのか?
生物学的観点から子孫繁栄が全てなのだろうか?
いや、それでは全ての「家族」を片付けることが難しい
では何が私達を形成させようとするのだろうか

メリットがある

どんな要素であれ、家族にはメリットがあるのではないだろうか?
人間社会である以上、人同士の関わりは避けられない。
その中でも「家族」はより密接に関わる相手である事は明白であり、
密接に関わるからこそ得られるメリットが多くあるのではないかと考える。
細かな箇所にスポットを当てていけば、例えば子育てなどが良いだろう。
昨今ではイクメンと呼ばれる育児を協力する男性が増えてきている。
これは女性からすれば自身が負う責任や義務を半減する事ができ、
非常にメリットである。
子供を作る目的や理由は割愛するが、双方が子供を望み産んだにも関わらず
片方のみが子供を育てるというのはデメリットでしかない。
また、日々の疲れを労う言葉をかけてくれる相手や逆に労ったりする
ような関係性(信頼関係)等があれば、より家族を形成するメリットと
感じることもあるだろう。

人生の意味を得る

多くの者は一度くらいは考えた事があるだろう。
私は何の為に生まれてきたのか、何を成すのか
考える深さは人によって異なれど誰しも思った事はあるはず
その中で「家族」を形成することは人間社会において
一定の意味を成すのではないだろうか?
多くの人間は少なからず自己を承認してほしい要求がある。
その中に生まれてきた意味、人生とは何なのか自問自答する事がある。
「家族」を形成することで一定の成果を得ることで私達は
生まれてきた意味を実感することができるのかもしれない。

最後に

「家族」を形成することで必ずしも人生の意味やメリットを
見出せる保証はないが、少なからず私達はそれらを得られるor得たいと思い
誰かと「家族」を形成するのかもしれない。
実にシンプルで可愛らしい理由と言える。
存外、私達はみんな寂しがりなのかもしれない。
「家族」という定義は非常に広義の為、この範囲で終わりにしたいと思う。
読んでくれてありがとう。


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