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持ってないシセイカンの話(7/31の日記)

いよいよテスト週間。だけど今日はテストのある科目が無いので丸一日休み。ヤッター(’V’)b

学食を食べて午後から涼しい図書館で勉強してやろうと大学に行ったら久しぶりに友人に会った。アルバイト先が一緒で学部と学年が一緒の友人。いくつも同じ授業を受けているんだけど、先週は一切会わなかった気がしていた。お互いに久しぶりだねと言って、友人が学食を食べ終わるまで隣で話をしていた。
友人はテスト週間中もアルバイトに行っていたらしく、社員さんんの話やお客さんの話をしてくれた。私宛ての荷物も預かっていると言った。いいアルバイト先だなとなんとなく思って、いったん友人と別れた。

翌日の記述式テストの勉強。図書館の席はあらかた埋まっていて、みんな飛び飛びに座るのであまりいい席が無かった。だけどグループワークや会議用のちょっとした部屋みたいなところが空いていて、司書の人に聞いたらどうぞと言われたのでそこを使った。結構長い間貸し切りだった。集中力が上がる。

テスト勉強の内容をふんわり説明すると、新しくできた法律の条文を読んで考察しなさい、といったものだった。文章を読むのは基本的に好きだし、それを要約してまとめるのも、好きな科目の内容ということもあってかスラスラできた。間に読書休憩を挟みながら文章を作っていく。今までこんなに真剣に勉強したことは無かったかもしれない、と思ってちょっとびっくりした。

最近読んでいる本はミステリー小説で、確かSNSで紹介されているのを見て買うことにした。今の私にちょうどぐっとくる内容だ。
余命宣告を受けているのに、それより先に、川に飛び込んで死んでしまった男性。彼は自殺なのかそうではないのかを友人である主人公が解明していく。「死んだらどうなると思う?」という問いが繰り返し主人公と私に降ってきて、どうなるのだろうとじっと考えてしまうような内容。「死んだ人が遺したものでこの世界ができている」という普段気にかけもしない感覚が、本を読んでいくうちに鮮明になっていくようだった。死んだら何も無いって言うけど、それも本当かは分からない。死んでないから。

死は大抵の生き物に平等に訪れる最大級の「あるある」なのに、誰も経験していない。この言葉がかなり好きなのだけど、言葉自体を聞くまでそんなこと考えもしなかった。(ちなみにこれは小説とは別のものからの引用)「あるある」という身近な言葉をあてられるのがすごいと思う。そういう感覚を持ちたいなと思っている。

「天国はある」と思うのが遺された人や、死んでいくと分かっている人にとってきっと大事なのだと思う。救われる気がする。
幼少期かもうちょっと大きくなった頃、父に確か「死んだらどうなるの」と聞いたことがある。誰か親戚が亡くなった後だったか。父は「わかんないけどたぶんきっと良いところだよ」と言った。「だって誰も帰ってこないんだから」と。
最近いっちょ前に死とはなんだ、死んだらどうなるんだ、と考え続けて自分がぶっ壊れていってたのだが、この言葉を思い出して一番自分を慰められている気がする。だって誰も帰ってこないんだから。しんどいとか辛いとかそういうのがきっと無い、居心地が良すぎてこっちの世界に戻ってこようとは思わない、そういった世界なのだろう。きっと私を可愛がってくれた親戚のおばさん(おばさんって言ったら怒りそう)も、向こうがよっぽど心地良いのだと思う。そう思うと、ちょっとだけ寂しくない気がしてくる。

宗教みたいな確かな軸を持っていないし、死も生も理解しきるだけの頭を持っていない私には、難しい話だと思う。あるあるなのに。いつか私にもやってくるのに。
足りない頭でふわふわしたことを述べました。日記ではないかもしれない。

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