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超監視学生社会の話(2024.7/28の日記)

 昨日noteを書いていたのに出すのを完全に忘れた。アルバイトが終わって、レポート課題やるの面倒だな~、寝ようかな~で寝たら忘れていた。そういう日もある。

 アルバイトは久しぶりに人員が調整されていて、最小限の人数で十分やっていける日だった。気持ちにゆとりがある。雑談とか誰かのフォローとかで、自分がしゃしゃり出ているんじゃないかとか、言わなくていいことを言ったなとか気にしないでいいのが楽だった。

 アルバイトの後輩が、「この間友達が先輩のこと見たって言ってましたよ」と私に教えてくれた。この友達はアルバイト先の別部署みたいなところで働いていて、挨拶を交わす程度の関係だ。昨日私が友人と祭りに行ったのを見かけたと言われた。すこぶる気まずい。
 大学の周辺はどちらにしろ学生でいっぱいだし、行ったお店で見知った人がバイトしてるなんてことはしょっちゅうある。祭りなんだから集まるし、会う確率はきっとグッと上がっている。見かけること自体はもうしかたがない。
 友達に言うのもまああると思う。私も言うかも。実際バイト先のお客さんがいたことを友人と話し合った。だけどその伝聞が本人に伝わるのは気まずい。見かけたその人から言われるならまだしも。心の中にとどめておいてほしかったと思う。

 そういえば同じ後輩に「友達が『先輩の家あそこでしょ?』って言ってましたよ」と言われたことがある。家もバレてた……。アルバイトからの帰り道が同じだからなんとなくそういうこともある。あるけど。後輩にはどうか心の中にとどめておいてほしかったと思う。

 と言いつつ、私も同じことを確実にやっているだろうな~と思った。知っていることは全部話してしまいたい私なら、人から聞いた話をさも自分事のように話しているだろう。だろうじゃなくて話している。覚えていないけど。きっと雑談の流れで共通の話は口にしやすいから、脳内の取り出しやすいところにあるのだと思う。話して忘れるぐらいの些細な話題なのかもしれない。話し手にとってはそうかもしれないけど、受け手がどう感じるか私は考慮していない。

 こうやって考えると他者との会話がかなり面倒に感じてくる。実際に喋っているときには考えもしないが、相手が何を考えているのか本質では分からないというのがやっぱり奇妙だ。奇妙ではないか。なんか、不気味だ。ふとこれがとんでもなく恐ろしいことに感じられる。


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