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純真さを分かりたい話(5/24の日記)

サークルの本番の準備をしながら、休憩のつもりで合間に読んでいた小説を読み終わった。そんなことしている暇は無いのだけれど。
純文学と呼ばれるジャンルらしい。

これまで近代文学を読んだことがあったので、名前を知らないだけでこのジャンルが初めてだったわけではない。なんだけど、なんというか現代の作家の文章ですんなり文字が入ってくる分、「これが芸術性に重きを置いた小説です!!」ということを顔面パイされているような、そんな描写の鮮明さに圧倒された。

前に「純文学は共感できるところを見つけるように読まないでいい」というような内容のことを聞いていたので、そのつもりで読み進めた。
確かに主人公のまっすぐ自分を持ったその価値観に、うんうんそうだよね、とは思わなかった。逆に自分の捉え方と違うことばかりだった。新しい発見が多かったと言える。「そういうふうに考える人がもしかしたら今日すれ違う中にいるかもしれない」という感覚だ。人の考えていることや感じていることは一切、他人である私には分からないのだとわかった。

そして自分と重ならない部分を見つけると、情景や感情の描写のうち、自分の知っている景色や感覚が見つかって一気に引き込まれる。
本を読むとなんとなくその情景を頭の中でつくって想像するのだが、その頭の中のテレビの画像がやけに鮮明なのだ。なんなら肌で一緒に感じている気さえしてくる。「ドアを開けた瞬間冷房の風が出てくる~!!知ってる~!!」となる。「緊張して汗かいて前髪がおでこに張り付くよね~!!あるある~!」となる。そして目に見える景色を私もそんなふうに見て感じてみたいと思うのだ。

本を読んだり作業を進めたりしながら、コンビニで買ったLサイズのアイスコーヒーを飲んでいた。アルバイト先でこだわられたコーヒーを飲むようになって舌が肥えてしまったのか、このアイスコーヒーが妙に薄味な気がして、風味だけがその辺にある気がしていた。「コーヒーの味がするコーヒー」という感想を持って、私に小説家の才は無いなと考えた。

アイスコーヒーの氷が溶けるのが早い。

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