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春を恨む話(2024.3/30の日記)

 アルバイト魔の連勤1日目。これから激烈忙しい(最近激烈って言葉にはまってる)毎日がやってくる。何度でも言うけど、アルバイトに連勤って概念があるのすごすぎるからな!「働けます」って言ったのは私だし、めちゃめちゃ忙しい時期で社員さんたちが大変なのは分かっている。でも「働けます」を待たれてた感じもすごかった。私は社員さんとアルバイト先のことが好きだから働くけどね!お給料嬉しいし!いいけどね!??

 まあまあミスをした一日だった。しかも後からそのミスに気づく、良くないやつだった。初日からこの調子では連勤が思いやられる。私は数字の苦手がすごいので、アルバイトを始めたばかりのころは特に計算が違うことが多かった。今も多い。ガハハ。

 アルバイト中、終わっていないレポート課題のことで頭がいっぱいだった。期限一か月以上あったのに締め切りの前日になってヒイヒイ言っている。馬鹿すぎる。学習しないので(大変だったことを忘れてしまうので)、いつまでたってもギリギリになって課題に泣く。テスト週間で何度泣いたことか。それでもどうにかなると思っているのがヤバい。もう嫌になる。

 同じような内容のnoteを何度も何度も書いてきた。同じ文言を何度打ち込んだか分からない。予測変換に出てくるほど。それでも先延ばし癖をやめられない。

 全てが嫌になる春が近いからかもしれない。全部春のせいにしてやる。私は春が嫌いだ。大嫌い。匂いとか空気とか嫌な記憶が全部思い出される感じが嫌いだ。これも何度かnoteに書いた気がするけど。アルバイトに行く道中、桜が咲き始めているのを見てまた嫌いだ!!!と思った。嫌すぎる。

 よく振り返ってみると、具体的に春の何が嫌いなのか言語化するのが難しい。春の嫌さの積み重ねが、春のことを考える回路まで絶っている気がする。嫌だから、なんで嫌なのか考えるのも嫌。

 さっきも書いたが、一番は春の匂いが嫌いだ。「匂いと記憶はよく結びつく」と聞いたことがあるけど、そのせいだろうか。新学期の慣れなさとか新しい関係を築かなくちゃいけない面倒さとか、環境の変化とストレスが思い起こされるのかもしれない。高校の頃、コロナ禍に入って学校に行く頻度が減り、新しく誰かと仲良くなるのとか、授業の内容を覚えていくのがすごく難しかった。

 それから自分自身を見つめなきゃいけない場面も春が多い気がして、それが嫌なのかもしれない。新しい人と仲良くなったり、新しい環境に行くための準備をしたりするとき、自分のキャラクターがその環境でふさわしいのかとか、新しい人の前でどう振る舞うのが正解かとか。そういうのを気にして神経をすり減らしている気がする。やっぱり自分と向き合うのも、自分の嫌なところを知らなくちゃいけない嫌さがあるから、避けてしまいたいのだろうな。

 容姿のことも気になる。新しい人と出会うたびに、相手の姿やふるまい方が正解に見えて、自分がいかに醜くて不正解かを考えてしまうのだと思う。容姿や性格に関しては特に自分に自身がなく、他者と比べて劣って感じてしまう。実際に劣っていると思う。こんなひねくれた奴いねぇわな!!!!!

 「最近自分の内面を振り返る日記が減った」と先日のnoteに書いた。自分の内面を振り返るのは、すごく努力がいることで、本当なら自分に向き合わずに終わらせてしまいたいからだと思った。今日みたいな自分の内面に矛先を向けた日記を書いては「死にてぇなァ!!!おい!!!」となっていたことを思い出した。

 やっぱり私は忘れっぽいみたいだ。おめでたい頭。

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