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一年前のnoteを思い出す話(2024.6/17の日記)

 例のごとく朝起きるのが億劫で一限を休んでしまおうかギリギリまで悩んだ。先週はそうやって本当に休んだので、今日はさすがに行こうかな~とだらだら準備した。じゅうぶん間に合って教室に入ると、同じことを考えている人が多いようで空席が目立った。もう教授も欠席者に言及しなくなっていた。

 この授業で昨日の日記を書いたのだが(いつも1日前の日記を書いているため)、全然頭が回らずネガティブな文章を生成しまくった。「去年もこんな調子だったのだろうか」とかなんとか書いた。気になったので去年の6月の日記をざっと読み返した。

 去年の6月は学祭で散々な目に合ってひどく落ち込んでいたみたいだ。出来事としては覚えているけど、もう過去のことなので当時の気持ちとか考えとかイマイチ分からない。今の日記ほど自分の内面を言語化しようとしていないし、まだサークルの人たちを主にいろんな人と交流があったから、どちらかというと出来事を記録するのがメインになっている。内面をつらつら書くようになったのは最近といえば最近のことかもしれない。他者と交流する特筆するようなイベントが起こらないし、大学生活の多くが当たり前になってきたというのもありそうだ。

 他に去年と違うところといえば、本を一冊ずつ楽しそうに読んでいたことだろうか。あと今みたいに1000字とか大量の文章を書いていない。毎日書く習慣もまだ無かったみたいで、「6日分も書かずに溜めちゃった」みたいなことを書いていた。日記じゃなさすぎて面白い。自分のことなのに「みたい」と言ってるの面白いな。過去ってなさすぎる。経験した記憶があるのに、日記を読み返さないと思い出さなかったことがたくさんある。

 あと今より体力がめちゃめちゃあったみたいだ。夜更かしして読書して遅刻して大学に行く、みたいな日がたくさんあった。かなりの頻度で「睡眠けずって本読むのやめなきゃな~」と書かれていた。この気持ちなんだろう。なんか、過去の自分に負けた感。不思議な感覚だ。

 あ、それから他者の目に入ることを意識して格好つけた文章になってる気がする!過去の日記!今もそんな感じだけど、去年の今頃のはその時読んだ本の文体にかなり影響されているように見える。ちょっといい感性だなぁと我ながら思ったのは秘密。
 もう一つ、エアコンつけ始めた日には「エアコンつけた」と書いてください。こうして振り返ることを考えていないから、事実をちょっと隠した内容になっている気がする。ちなみに今年はまだです。つけたときには言います。あ、「今シーズン初めて半袖を着た」と書いていたことは褒めます。暑いよね~。

 本を買ったレシートで、残しているやつだけ計算したら、軽く7万という数字が出た。読み終わるだろうかと思った。

 今日の写真はアクリルスタンドを掲げて景色との写真を撮ろうと試みたもの。どこにもピントが合わず、かなり不気味な写真になってしまった。手がもう一つほしい。

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