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体と感情の遊離

毎日夜に泣いているような声を聞くようになってのはこの頃からだ。私たちネコは基本的に夜行性なので、夜の方が感覚が鋭いのだ。だから、昼行性の犬と違ってホルモンの分泌も昼夜逆転するものもあり、それに応じて薬の投与の仕方が犬と違ったりする。獣医さんは同じ病気でも犬は犬として、猫は猫として分けて考えなければならないので一苦労あるようだ。さらに犬種猫種による差も考えないと行けないので大変なのだ。日本では人間のお医者さんはあまり人種差を考えずに診療できるが多人種国家のアメリカなどでは治療に人種差の考慮が必要なことがあるらしい。人種差と犬種猫種差を同列に考えるのは飛躍しすぎかもしれないが、獣医さんはその差も考えて仕事しているようだ。猫の私から、犬猫のためその苦労ありがとう、とここで言っておきたい。
話が逸れたが、院長はかなり精神的にまいっているようだ。自分自身の病気がかなり深刻で先への不安が大きく感じられるようになってきたようだ。死の恐怖というものも感じているようだ 。自分が死ぬ?いやそんなはずは無い、なんでこんなことになったのか?死ぬということは今が無くなることなのか?今という時間さえ無くなるのか?なんなんだそれは、すべてがなくなるのか?今見ている妻の顔、子供の姿、孫の声、病院のスタッフ、犬猫の匂いすべて感じなくなるということなのか?それは信じ難いことであるし、起こるはずのないのことなのだ、でもそうなるかもしれない底知れぬ恐怖、不安、寂しさ、そして悔しさこれらの感情が頭の中で浮かんでは消えかきまわし、自分がどこにいて存在しているのかさえも分からないような体と心が離れているような言いようのない感覚が襲ってくる。うわーーーー!と声をあげ、声が出せること、その声が聞こえることを、確認しないと自分がいまここで生きていることが実感しない感覚。
その感覚、院長は一度経験していたことがあった。それは、長女が高校を卒業し、大学進学のため一人暮らしで他県へ引っ越していく時に起こったことである。院長は、副院長(妻)、長女、次女、愛犬、愛猫と一緒に暮らしていた。子供たちが産まれた頃は動物病院の2階で生活していたが、娘たちが小学高学年のころ動物病院の近くに新居を建て新しい生活を始めた。新しい家では子供たちに個室を与えてあげることができ、院長は子供たちの成長と共にお気に入りの家を新築できたことは大いなる喜びだったようだ。建築途中にトラブルはあったが、それはまた別の話として。お気に入りの新居で生活を初めて数年で長女がそこを離れることになった。単に大学進学で故郷を後にするというごく普通の話なのだが、院長にとってはかなり特別なことであったようだ。それは人一倍(といっても人の感情なんか誰にも分からないのだが)寂しがり屋の院長の性格のせいかもしれない。寂しがり屋の院長の性格形成には院長の育った環境が影響してあるのかもしれない。その話もまた別の話として。
大学合格の喜びと他県への引っ越しの準備など忙しい日々を過ごしている時は特に何も感じていなかったが、他県への引越しのため家族でホテルを取って宿泊した時その感情は突然やってきた。ホテルの外で夕食を食べ、ホテルへの帰り道、無邪気にふざけあって前を行く娘2人を眺めていた時、突然このいま目の前に見ている娘2人という状況が明日からなくなってしまうということがとても寂しいことに思えてきた。娘たちとは別部屋だったので部屋に入るなり涙が止まらないくらいに泣いた。その夜眠れなかった。涙がでた。ものすごく寂しい悲しい気分と長女が家にいなくなることの恐怖といっていい感情が頭を掻き回した。よくドラマや小説で聞く「胸が張り裂けそうだ」というセリフはどうやらこの事かと思えるほど、体の一部が剥ぎ取られるような痛みを感じる寂しさだ。どうしたらこの感情を抑えられるのかわからなくなり、部屋の中を歩き回っていた。その年の4月5月のことは今でも宙に浮いたような記憶である。家に帰るといつも聞こえていた「おかえり!」(長女は母親の方言アクセントの影響を受けていて地元アクセントとは少し違うおかえりを言いそれがまた特徴的な忘れられないおかえり!だったようだ)の声が聞こえない。どうしようもなく寂しい。体の一部がどこかに行ってしまったような不思議な言葉では言いようのない感覚だ。大好きだった釣りにもしばらく行けなかった。落ち着いて釣りが楽しめるようになるまで2ヶ月くらいかかった。本当にどうにかなりそうで、心療内科や精神科を調べていた。受診することは無かったが、その時通院していれば「うつ病」と言われたのかもしれない。
あの時味わったあの異常な感覚が、再び襲って来ているのだ。死の受け入れの段階とし五段階あると言われている。
否認、怒り、取り引き、抑うつ、受容(順番は前後することがあるらしい)
、さて今どの段階にいるのだろう。


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