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地獄の5時

今回も私マキから、院長の様子を伝えるわね。
とにかく、癌が告知された訳だが、院長も副院長も動揺を隠しきれない状態だったわ。あまり笑わなくなった様子からもそれとわかるし。
口腔外科の先生は、消化器内科への紹介をしてくれたけど2週間後の予約だった。その間院長の激しい腰痛と股関節痛を抑えるため、麻薬系の強い鎮痛剤が処方された。同時に通常の鎮痛剤(ロキソニン)も併用された。さすがに麻薬系のオピオイド鎮痛剤はよく効くようで院長は痛みを訴えることが少なくなった。副作用として眠気が強くでるようになった。そのため院長は車の運転をしないように決めたようだ。薬の眠気で事故を起こすとさらに家族に迷惑をかけてしまう。しかし車で移動出来ないのことは不便極りないので、友人に運転手役をお願いすることにした。院長の長女の小学校の所謂ママ友仲間のひとりで専業主婦のため時間の融通が効く人なのだ。それに院長とは妙に気が合い話しやすく楽しく、面白い人手院長お気に入りのママ友なのだ。
連絡すると喜んで運転手役を引き受けてくれた。以降約1ヶ月半ほど病院の送り迎えをしてもらった。院長にとっても気持ち的に楽になる時間が出来たことは良かった。気安く話せる人と過ごせる時間があることは精神的に助けになっていた。この頃の院長は夜間頻尿と精神的不安からゆっくり眠れなくなっていた。不眠状態が続いていたのだ。特に朝方の五時頃に決まって目が覚めてしまう。この頃は夏の時期で既に日が昇り既に窓の外は明るく部屋の中も明るくなっている。一度目を覚ますと中々寝付けない条件になる。
だんだん鮮明になる意識の中で現れる感情は恐怖と不安である。死への恐怖、自分の存在が全てなくなってしまうということへの絶望感と言い換えられるかもしれない。死が全てのことを無にしてしまうという感覚(院長の宗教観は、特定の神を信じる一神教的信仰は持たないものの神そのものを否定するようなことはなく、むしろ神道的八百万の神のような霊的存在は肯定している。しかし、死後の世界の存在については否定的)は、院長の大学の同期で獣医師免許を取得したばかりの若かりし頃、夜遅くまで勉強会で一緒に切磋琢磨した仲間の中でも特に真面目で勉強家で努力家で知識量は仲間内随一であったK君が、無くなった時に強烈な印象として入り込んだ感覚である。
祖父や祖母の死、またそれぼと親しくは無い同級生などの死は経験していたが、20代でよく知る親しい人の死に直面することはなかった。
K君の場合は、特に突然死ということもあり、強烈な印象を与えたのかもしれない。K君は念願の自分の動物病院を開業して1年、5月に結婚したばかりで仕事も私生活も充実していた。11月に学会で出会った時には、病院が忙しくてたくさん頑張って働いている様子を語る彼の姿に羨ましさと憧れを覚えたことは今でも思い出される。「また、ゆっくり話そう!」と別れたのが最後だった。12月彼の訃報を聞いてすぐにその年に産まれたばかりの長女を連れ副院長と共に3人で彼の動物病院に駆けつけた。
あれだけ勉強して、あれだけの知識と技術を身につけ、仲間の前で中心的に雄弁に語っていたK君が冷たくなった体で横たわり、何を語り掛けても語り返してくれない。何も反応しない。この頭の中に詰まっていたあの知識はどこにいったのか?あの世にK君と一緒に持って行った?
たとえそうだとしても、この世ではもうあの豊富な知識を披露してもらえることは無い。つまり、すべてが無くなった。無になった。
この時、院長は死ぬことは無になることと理解したようだ。無になることはわるいことなのか?無の境地を求める人はたくさんいる、ただしそれは生きている時にあえて求める無であり、死と共に訪れる無ではない。
こういう禅問答的哲学的思考を院長は決して嫌いではない、ただそれが毎日、毎朝決まって5時にやってきて、死を考えることは苦痛で拷問のようなものだ。周囲の人に院長は「地獄の五時」と呼んでいたのも頷けるわね。

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