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日露戦争

澤田和彦先生

北東アジアにおける西洋列強の力の増大
アジアの国際社会への登場
ロシアと清国の二つの条約 

1891 シベリア鉄道の建設決定 
1894〜95 日露戦争 三億円の賠償金獲得 台湾が日本領に 遼東半島(大連、旅順)獲得 三国干渉(臥薪嘗胆)
1896 東清同盟密約 
東清鉄道 ハルピンから旅順、大連まで 満州(中国東北地方)鉄道の支線
日英同盟の成立

乃木将軍 軍神とされた 
バルチック艦隊、第一艦隊との戦い
203高地

ツアーリに対する信頼が揺らぎ始め革命

ロシアは国内で革命があり、戦争どころではなかった

日本側は財政破綻寸前

ポーツマス条約 アメリカが仲介した
南サハリンが日本領になった

賠償金がゼロだった

黄禍論 白人が有色人種に負けた最初の戦争だった

満鉄が大陸進出への足掛かりとなった
軍国主義
韓国の併合へ
太平洋戦争へ

明石元二郎の工作
日本の陸軍武官、諜報活動を行った
革命派への支援 
コンニ・シリヤクス(フィンランド人)

ロシア人革命家ニコライコンスタンチノビッチスジノフスキラッセルの俘虜工作1905年5月30日にハワイから船で横浜に来た

ジョージ・ケナン(アメリカ人)アウトルックという雑誌の特派員 アメリカロシア自由友の会の結成者 俘虜収容所を回った

ロシア正教会が日本の俘虜を慰めるために出していた新聞に革命思想を吹き込む

ラッセルの活動が日本で成功していった
アンチロシア勢力の拡大
俘虜に武装させシベリアに送りロシアと戦わせる→失敗 来日が遅すぎた 戦争が終わってしまえばできない  ウラジオストックに上陸し、革命活動を行った
長崎ウラジオストック間、船があった

ボーリャ(自由)日本にない分をプラハで見つけた

ラッセル三回目の妻は日本人
天草島原出身の大原なつの
比叡山の大原家の墓に眠っている

松山の俘虜収容所 位の高い俘虜が多かった のべ 

長崎の稲佐
神戸
横浜山手
函館

ロシア人墓地🪦
位の高い人は寺へ埋葬

ハーグ条約後の戦争だった
俘虜を丁重に扱った
教会を作った ロシア正教、カトリック教会(ポーランド人)
フランスの領事館が俘虜にお金を与えていた?
道後温泉でくつろぐ俘虜の写真
俘虜と日本人の自転車競争の写真
軽作業 書記 靴 洋服 修理 パン作り 学校(ロシア語の読み書き、算数)ロシア人はきゅうり好き 

井上郁代さん(おはなさん)とフョードル・レインガルト(俘虜)との恋愛 
ラブレター カタカナ表記 新聞に載った 帰国後またウラジオストックから日本へ結婚後また別れた

團蔵 俘虜への慰問公演
合唱なども 



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