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「Buy Now, Pay Later」後編 「ジャパニフィケーション(日本化)」その5『スマイル』の価値 22頁目

阪神・淡路大震災1995年(平成7年)1月17日

電車通勤をしていた老いぼれジィジiはいつも通りに駅で電車を待っていた。

明確なアナウンスが無いまま駅の待ち時間は過ぎていった。

電車の到着を待ちきれず、駅前に駐車している者と乗り合わせ車で勤務地にある銀行の支店に向かった。

地震を知ったのは銀行に着いてからだった。

その当時毎朝電車で日経新聞を読んでいたのだが、『Yahoo!』をヤッホーと呼んでいた。

銀行員として過ごす日々は機械化が進んでいるような感じの時代であった。

地方に住みながらテレビや新聞だけで日本の情報が解る世の中では無かった。

その1年後、老いぼれジィジが過ごした1か月の東京での物語です。

つまり、低インフレ、低金利、低成長の日本化を「ジャパニフィケーション(日本化)」と呼ぶようになる初期の時代の頃の物語です。

当時、日本では金融の世界におけるアセット (asset)のひとつが「サラ金」でした。

自動契約機の導入(1993年(平成5年)以降)により、それまで深夜帯に限られていたテレビコマーシャルがゴールデンタイムに乗り出し、消費者金融という言葉が定着しつつあるころです。

全国の地方銀行が集まる研修に参加していた老いぼれジィジiは、銀行の近未来を想像するというテーマでグループディスカッションのリーダーに任命されました。

東京で初めてPCを眼にした老いぼれジィジiは、無人店舗に設置されていた自動契約機を実際に試してみたかったので、ディスカッションのテーマに提案しました。

遠隔地との間で身分証明書の提示と情報入力などにより審査を行い、その場で金銭賃借の契約手続とサラ金カードやクレジットカードを発行する自動契約機が、銀行員として想像することや理解することが出来なかったからです。

29%もの金利を稼ぐアセット (asset)企業に地域の銀行が買収などにより参入するというテーマで提案しました。

テーマの言い出しっぺということで自動契約機の視察には参加出来ませんでしたが、グループ員はノリノリで実際に自分のカードを作って、グループ員の中で内容を報告し合いました。

「具体的にはあり得ない提案であるが、実に興味深く面白い提案である」、という主催者側からの評価ではありました。

その後、メガバンクが引き継ぎ収益の一部となる事など、当時は予想だにしない時代でした。

機械化とテクノロジーの差

「今買って、後で支払う」という形態は日本を含め、金融以外の分野を含め昔から存在していました。

日本国内においても数日前、日本の後払い(BNPL、Buy Now, Pay Later)サービスプラットフォームであるPaidy(ペイディ)が、約27億ドル(3000億円)の現金で、米国のフィンテック企業であるPayPal Holdings(ペイパル・ホールディングス)に買収される発表がありました。

金融システムの形である「BNPL」は、テクノロジーによって仕組みを作る金融システムです。

阪神・淡路大震災1995年の翌年に、機械化というレベルであった日本の銀行において、「消費者金融」という金融アセットは、確実にテクノロジーを持つアセットに近づいていたハズです。

しかしながら、金融システムにはなり得ませんでした。

私の推測ですが、当時世界のナンバーワンであった日本には、画期的で優秀な「サラ金」システムが存在していたのではないか、と考えてます。

与信判断等を含むソフトと、カードの発行等を含むハードが、極・極・極短時間に実現させることが可能な、画期的なシステムが日本で1996年には存在していたのです。

残念ながら、四半世紀という時間の経過により、つまり「ジャパニフィケーション(日本化)」により、消費者金融アセットが金融システムとして機能することは有りませんでした。

結果としてメガバンクのイチ機能になったのですから・・・。

システムの差

金利が発生せず「今買って、後で支払う」事は、買い方にとっては無茶苦茶メリットがあります。

同時に、システムとして成り立たせるためには、反対の売り方にとってもメリットが無くてはなりません。

低インフレ、低金利、低成長の日本化「ジャパニフィケーション(日本化)」の要因はシステムの劣後にあると老いぼれジィジiは考えています。

具体的には次頁に続く。

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