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本当のことを書くのは難しい

こんにちは。
家が燃えた話の続きをぼちぼち書いていきたいと思っているのですが、改めて今回気づいたことが驚きだったので先に書きますね。
どうやら自分は「本当のこと」を書くのが自分で思っていたよりずっと苦手だったようです。自分でもわかるようで絶妙に意味がわからない。

火事のことを書くにあたって最初に思ったのは、状況、事実、感情など、なるべく事実ベースで率直に書き残したい、ということでした。こうやって書くと構えた感じになりますが、思った時の感情としては、「驚くようなことが現実に起きたんだから、現実に沿ってなきゃ意味ないよな」というくらいのもので、まぁ妥当な思いつきだと考えていたんですが。
が。
いざメモやスマホやキーボードに向かってみると、思っていたよりずっと「事実ベースのことを書く」というのは自分にとって難しいことでした。

まず、自分の話に他人は興味があるか??
そして、状況や感情の説明に余談が多すぎないか??
さらに、そもそも書き残すことの意味とは??

まぁまぁ性格的に負の要素が強いというか、日々ネガティブに物事を見がちなのですが、いい年齢の大人なので、それが良いとは思ってはいません。
とはいえ無理にポジティブになる必要もないよね〜という開き直り精神もあるので、「せめて同人誌にして他人様に読んでいただくものだったり、不特定多数の方の目に触れる可能性があるインターネット上に発信することはネガティブになりすぎないように心がける」というところでこれまでバランスを取ってきたわけです。
しかし、今回の火事前後についてのことを書こうというのは、この大まかな方向性と普通に矛盾してしまうし、矛盾について考えると必要以上にネガが強調されてしまうという…。

などとここ数週間考えていたのですが、結局自分の中の問題でしかないのは自明のことで。方向性とか他人に対してポジティブとか、いろいろ決めてきたことでも、必要に応じてリセットしたり修正したりしていいんだ、というごく当たり前のことを積極的に自分に言い聞かせることにしました。

自分の話に他人は興味があるか??
→ないかもしれないけどあるかもしれないし、誰というわけじゃなくても
「火事の話」というのは何かの役に立つかも。

状況や感情の説明に余談が多すぎないか??
→まだ書いてもいないけれど多分多い。変なとこで情報量が多いんだよな〜っていうのが書くのが面倒になる理由でもあるけど、別に締切があるものでもないしいいのでは。

そもそも書き残すことの意味とは??
→ないかもしれないけどあるかもしれないし、あってもなくてもいいのでは??

くらいのテンションでやっていけたらな〜と思っています。