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趣味の長持ち

変にまじめなところがあって、趣味の楽しみ方のしっぽをつかめなかった。
高校生の時から写真を始めたのだが、楽しむという過程をすっとばし、写真で人の役に立つには?とか、どうしたらうまくとれるか・魅せられるのかに必死。奢っているなと今では思うけれど、人よりうまく撮りたい、という気持ちが強すぎたのだと思う。
大学に入ってから心身が不調になった時、思うような写真が撮れないという理由でいったん写真を辞めた。自分の撮った写真が嫌いではなかったから、この時お休みしたのはもったいないなと後悔が残る。
父が大学進学祝いに買ってくれた一眼レフはしばらく休眠させてしまった。

コロナ禍と社会人を経て、ようやく趣味の大切さを痛感させられる。疲れをごまかすために無意味にSNSを眺め続けるのはむなしい。
社会人一年目の秋、一眼レフを久しぶりに充電し公園に行った。会社への行きかえりでは感じなかった秋の風、誰に見せることもないから写真をうまく撮る必要もない。構図とか色がめちゃくちゃな写真を量産しても非難されることはない。そもそも自分を急き立ててくる人なんていなくて、自分自身がこうしなきゃ、ああしなきゃと思っているだけだったよな。

もっとうまくできること、挑戦してみること。人生のプラスになりそうな言葉だけれども、自分にとっては趣味に必要ない言葉なのかもな。

まだ時々、趣味に対して「頑張らなくていいのか?」と思うこともあるけれど、手を広げすぎないことで続く趣味も肯定したい。
短く太いを目指したって、人生は思ったより長いのだ。

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