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不安と安心と共に

5月が始まった。
今回のnoteは日記みたいな感じ。


5月が始まって、今日イマココの気持ちを残そうと思って、
気まぐれでつけている手書きのノートを開いた。


4月はどんな月だっただろう。
4月に綴った「わたしの言葉」を見返してみた。

そしたら思ったよりもパワフルで、
私自身が、覚えておきたい。忘れたくない。そんなことが沢山残っていた。
そんな「わたしの言葉」をここにも残しておこうと思う。


4月は、お仕事関係はうまくいっていたし、
プライベートも楽しい予定が沢山あった、
総じてみるととても充実した月だったけど、
とても個人的なことで、沢山泣いた月だった。


あんまり普段泣かないので、シンプルに疲れた。
でも今回は、「もう自分の気持ちを置いていかないぞ」と思っていた。
これまで沢山、「泣いても仕方ない」「考えても仕方ない」
「落ち込んだってどうしようもない」と
たくさんの気持ちを置いてきぼりにしていた。


だけど、コーチングをするようになって、
「感情」を大切にするようになったから、
ただ、止まって、全ての「感情」を大切にしようと心がけた。

「自分の気持ちを置いていかない」
そんな月に生まれた「わたしの言葉」


言葉は、単にツールに使われる時と
ある人の願いと繋がりとてもパワフルに響くこともある
面白いものだな。と思っている。


私にとってここに残す言葉は、
どれも私の深くとつながった言葉だと思う。
4月に書いたDoing よりのどのnoteよりも。

そんな言葉が、読んでくれた誰かの願いにも
触れるような言葉になっていると嬉しいな。


4月の「わたしの言葉」

私の手書きノートにあった、私が書いた言葉を引用しながら、
過去の自分と対話するみたいに書いてみようと思う。

辛いことがあってから、安心を感じられる場がとにかく続いていて、救われている。
私がちゃんと生きて、得ていることなんだ。

辛い現実が襲ってきても、それに支配されなかった。
同じく現実に、「安心を感じられる場」があった。
どっちも現実だった。

関わってくれている沢山の人に「ありがとう」を伝えたい。

そして、誰かがいて、感謝をするから、私がいるのではなく、
私が先にいて、みんながいて、感謝が生まれる。

あたたかなものの循環の感覚が変わっているそんな感覚。

無理にたのまなくても、無理に助けなくても、
いのちを生きていたら、それでいい。
自然と循環は生まれていく。

お、また循環が出ている。
一つ「循環」はキーワードだったんだな。


「いのちを生きていたら」それでいい。
「いのちを生きる」という感覚を得たのは、
イノチノブレスの講座を受けたことがやっぱり大きかったんじゃないかな。


いのち行動しかしていない。気持ちの最近。

あぁ、心があったかい。
不安も怖さもあるけれど、喜びは奪われていない。
そして、この喜びが私の中から消えることはない。
ずっと、ありつづける。

これは、今月救われた本の一つ。
西加奈子の「くもをさがす」の影響を沢山受けている。


不安や怖さに支配されていない。
ただ認めている。
そして同時に、「喜び」のハンドルも自分意外の何かに渡してしまわず、
しっかり自分で握ることができている。
そして、「あり続ける」ことを信じ始めている。


私はちゃんと、誰かと生きていくことができている。

これまでずっと感じていた「なんか寂しい」の気持ち。
と同時に、人と生きていくのが下手くそ。
チームプレイができない。そんな風に思っていた。

だから、1人でやっていくフリーランスが向いているな。とも。

でも、フリーランスになってますます感じている。
「私、全然ひとりじゃない」
「すでに、誰かと共に生きている」

私が私の人生を生きる。
誰にも変われない、私の人生を。

当たり前なことなんだけど、
私の人生は、誰にもとって代わられないんだな。と。


今、コーチとして生きているけれど、
前職の人や、これまでの旧友にはほとんど
コーチングをしていることを言っていなかった。
私の未完了の一つだった。


そんな未完了を完了したのも4月だった。
THE COACH ICPのインテグレーションコース修了証が
届いたのをきっかけに、
インスタの鍵垢やFacebookにも投稿をしてみた。


なんと、前職の上司に自分から、
Facebookつながってください。とも連絡していた。
我ながらすごい行動力。


私のいのちを生きるのに必要なことだったから、
もう準備は整っていたから、スッと自然にできた。

「どんな時も喜びは奪われるべきじゃない」
喜びや楽しさは簡単に奪われる
年齢、役割、職業、身体のこと、その他いろんな現実が、喜びを奪おうとしてくる。
だけど、喜んでいい。楽しんでいい。

これも前述の通り、西加奈子の「くもをさがす」の影響を受けている。

そして、これは私が私自身にかけたい言葉でもあるし、
私がコーチとして体現したいそんな姿でもある。

そう、4月は、私がコーチとしてどうありたいか。
どんなコーチングを届けていきたいかも沢山考えた時だった。

変えられない現実があっても、
それでも、私は私らしく生きられる
あなたは、あなたらしく生きられる

これは、私が今、体感していることそのもの。

そして、この言葉を必要としているどこかの誰かに
伝えたい言葉。

信じ続ける。諦めるわけにはいかないんだ。

これまで沢山あきらめてきた。
仕方ない、しょうがない。どうしようもない。
そんな言葉に屈してきた。

だけど、諦めるわけにはいかないから、信じ続けるんだ。

何を信じているか。
を言葉で表すのはすごく難しいけれど、
私は、私を信じているし、
周りの人を、世界を、全てを信じている。
というよりも、信じ続けよう。と決めた。

安心している。
つながりを作ったり、切れることを恐れず
ただ、「いる」ことができる。
「断つ/断たれない」のない世界にいる。

これは4月の末にマイコーチのセッションを受けた後に書いたもの。


「断つ/断たれない」の「無い」世界にいる。
つながりも、いのちも、ただ、ある。


そこから生まれる安心感。


まだこれ以上の言語化が難しいけれど、
とにかく今、私はこれまでに無いくらい安心しながら生きている。
不安と共に。安心しながら。


ビジョンの体現

2023年末にかかげた2024年のビジョン。

「自分を生きた、その先で人とつながる」

これを体現し始めている。
このnoteを書きながら改めてそう思った。

5月も6月もその先もすでにやっていきたい
自分を生きる「いのち行動」が沢山待っている。

ひとつひとつ丁寧に楽しみながら、進んでいきたい😌

救われた本たち

①辻村深月 「あなたの言葉を」

「わたしの言葉」に、カギカッコをつけているのは、最近読んだ辻村深月さんの「あなたの言葉を」という本の影響。子供向けの本なんだけど、とても良い本だったのでおすすめ。


②西加奈子 「くもをさがす」

発売時からもう何度も繰り返し読み、救われている本。
西さんは、私にとってもう存在が救い。

でも、自分が年を重ねておばさんになった今、何を怖がっていたんだろう、と思う。誰が、私たちを脅かしていたんだろう。おばさんになったからと言って、自分の喜びにリミットをつける必要はない。
 年を取ることは、自分の人生を祝福することであるべきだ。私は44年間、この身体で生きてきた。もちろん、身体的な衰えは感じる。そして私は、トリプルネガティブ乳がんを患っている。でも、私は喜びを失うべきではない。

「くもをさがす」西加奈子

喜びにリミットをつける必要はない。
喜びを失うべきではない。

なんてパワフルな言葉だろう。
すぐに自分の喜びに、幸せに、全ての感情にリミットを自分でかける。

私には、こんなこと思う資格はない。
今は、こう感じるべきだ。

そんな風に何度自分の感情に蓋をしてきただろう。

どんなに喜ばしい状況の時にも、苦しいと、辛いと思って良いし、
どんなに苦しい状況の時にも喜んでいい。喜びは失うべきではない。

自分自身にも伝え続けたいし、感情に蓋をしている全ての人に伝えたい。
あなたは喜んで良いし、幸せになっていい。


最後まで読んでくれて、ありがとうございました😊


奪われない喜びと、「断つ」のない世界
を体感することができ、「安心」に包まれている
そんなイマココなんだな。と思います。


みなさま、よい5月を〜!

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